新自由主義と左派の親和性 思い出す90年代前半の政治風景

 
 八ツ場ダムに関する識者やブロガーの言説を見ると、左派とネオリベの多くが八ツ場ダム建設中止を支持しているように散見される。
 日本の左派は環境保護や、公共事業を止めてその予算を社会保障に回して欲しいという願いから、伝統的に公共事業に批判的だ(国際基準では左派は雇用創出を可能にする公共事業を支持するのが普通なのだが、日本は特殊である。)。またケインズ主義の乗数理論に懐疑的なネオリベラリストは公共事業に懐疑的である。
 高校生の頃、左翼社会科教師の影響を受けてバリバリの左翼だった私は、自民党土建政治を憎んでいた。ちょうどその頃、自民党の改革派議員や保守派の論客の中で公共事業を批判する言説が散見されるようになり、私はそのような言説に親しみを覚えるとともに、左派のワンパターンな反公共事業理論にない鋭い切り口に新鮮さを覚えたものだ。
 昨今の言説を見ていると、この頃の政治風景と今は余り変わっていないような気がする。保守派の前原国土交通相副大臣に左派の辻元清美を選ぶというのも、それ程違和感なく受け入れられたのも象徴的だ。
 鳩山連立政権、或いは民主党内が右派と左派が対立するだろうというベタな話をする人が相変わらず多いが、公共事業の見直し、或いはもっと大きな括りの予算の見直しに没頭している間はイデオロギーで対立することは余りないであろう。そういう対立は自民党政治負の遺産が片付いてネタがなくなってから懸念した方がよいだろう。