女帝反対論批判の反論への意見

川西正彦の公共政策研究
 http://antilabor.cocolog-nifty.com/
 へ女帝容認問題に関してトラックバックを飛ばしたところ。反論をいっただきました。
女帝容認問題に関しても女系反対・女帝は容認派と女帝そのものに反対派する意見があり、ともに皇室典範見直しには反対の態度なのでではありますが、天皇家に男子が生まれないという現実問題に直面して、柔軟性は若干異なります。
 全体的には前者が多数派で、川西氏のような後者はどちらかと言えば少数意見でしょうか。
 私は女系でもいいぐらいに思っているのではありますが、敢えて男系を維持したいのであれば女帝は敢えてみとめて、なんとか男系を維持することをに戦略変更したらという意見です。つまり女系反対・女帝は容認派の方々は世論に訴えるために川西氏のような意見とは袂を分けた方がいいと言っているのであるから相容れないのは当然でしょう。
 川西氏の意見は個人的意見としては理解できる部分もありますが、とうてい世論の支持を得られる可能性は低い。宗教団体の長を選ぶのであれば、最も熱心な人間の原理原則的な意見を尊重する意味はありますが、天皇陛下を一部の熱心な支持者の満足する存在に矮小化させることはそれこそ天皇制の危機であります。
 基本的に極右・極左の意見の人は自分の意見広く受け入れられるような努力は最初から拒み、一切の妥協を拝し持論を通す傾向にあります。首尾一貫した態度は美しくも見えますが自己満足に陥るのが常であります。
 一方中道に近い右派・左派というのは持論を広く大衆に受け入れられるようにアレンジしながら実現することに主眼を置きます。戦後は中道左派的意見が極左と袂を分かつことにより広く国民に受け入れられた傾向が強い。
 もちろん現在は右派の巻き返しが目立っているのではありますが、中道左派に対抗して中道右派と極右が結託しぶつかっている現象です。今はなんとなくうまくいっているように見えて、かなり限界が見えているというのが私の感想です。
 結局、先の戦争が聖戦だとか自衛戦争だとか言っている人から、間違った戦争ではあったがあったし極東軍事裁判は受け入れざるを得ない、しかし……といった意見まで保守派と称し仲良しごっこをやってみたりする訳です。世の中極端な意見を言う人ほど声が大きくなる傾向があるので、勢い右へ右へと流されてしまう。
 靖国神社の問題にしたって、極右の意見に流されてA級戦犯を合祀さえしなければ、首相が堂々と参拝できるどころか、天皇陛下の親拝だって続いていたかも知れない。いったいA級戦犯を合祀と天皇陛下の親拝とどちらが大事なのでしょうか*1
 極論を言う人は最も熱心に行動してくれるのでつい重宝されますが、政策実現のためには極論を排除する勇気が必要なのです。


 あまりトリビアリズムに陥るの各論への反論はほどほどにいたしますが。

旧皇族を皇配族に貶めようとするプランであり、旧皇族の家系・家格に対する矜持、プライドをかなぐり捨てよと言っているのと同じ。大変失礼なことだと思う。女性当主の入夫という前例のない醜く男性の尊厳を否定する結婚の在り方なので、私が最も嫌悪する考え方で絶対容認できません。
男性の尊厳を毀損する女性当主に絶対反対である。

 すでに一般人になった方々の家格やプライドを論じること自体ナンセンスな訳で、その議論に持ち込みたいのであれば、戦後の皇籍離脱という決定の方を批判することから始めなければなりません。
 入夫*2がそのまでプライドを傷つけるもにでしょうかね?これは当事者に聞かなければわかりませんので、議論しても仕方ない話ですが。
 私も旧皇族華族の戦後に関する記事はいろいろ読んだことありますが、結構複雑ですよ。社会的に高い地位に就かれた方はいいですが、事業に失敗したり、社会的に地位の低い職業に就かれた方は、かえって家系を重荷に感じ隠して生きられている方もおります。
 ただ、ここで敢えて女権拡張論批判の批判とか男権主義批判はしませんが、女性当主の入夫というのは一般家庭でも馴染みがない。実態はかかあ天下であれ、婿養子であれ、世帯主は男性にするのが一般家庭でも通例になっています。戦後の皇室というのは日本人の理想的家族像を具現化する役割もなぜか担っている(マスコミにより捏造されている部分が多分にあるが)為、一般家庭から離れた形態というのは難があります。
 馴染みがないというだけで、側室を置くといった行為ほど嫌悪することはないですが。

*1:当然両方大事という人は多いであろうが、狐と兎を追って兎に執着する余り狐を逃がす狩人の如しである。

*2:この言葉初めて聞いたので調べてみましたが、旧民法下で女性が戸主を務める場合配偶者となる場合入夫と言うようだ。非民主的といわれた旧民法下でも女性が戸主になることが認められていたのである。もっとも戦前は男尊女卑以上に身分が家柄の尊卑が重視され、女性の方が家柄が高い場合は当然あり得た話のようである。