保守論壇における格差問題。
最近、保守論壇においても「格差社会」や「下流社会」を特集するようになった。格差問題は今までは小泉政治を批判するレトリックとして利用される傾向になったが、今年に入って保守論壇も沈黙できなくなったのか。売れるから特集している面も否めないが。「国家の品格 (新潮新書)」に見られるような、最近の「お行儀の悪さ」に我慢できなくなった保守派が多いのも理由のような気がする。お行儀が悪いのは新興上流のホリエモン然り、下流の若者然りであるのだが。
- 「格差」と言う奴はかつての左翼だ。左翼は滅びたのに、何か文句が言いたいから格差を問題だと囃し立てる。
- まあそういう側面もあるが、最近の保守派が格差を問題にしている空気を読めていない。保守は平等という価値感を敵視しなければいけないという冷戦思想を引きずっている気がする。冷戦が崩壊したからこそ、格差についてイデオロギー抜きに論じる空気が生まれたのではないか?
- 下流も悪くない。昔の陸軍の士官はみんな下流出身だ。陸軍の士官には上流階級は結局何もできない。働いているのは俺たちだという兵隊根性があった。軍隊でひどい目に遭ったのか戦後書いているのはみんなエリート出身だ。下流出身の士官はそんなことは言わない。
- よかったのか?私も旧軍=悪とまでは言わない立場だが、「天皇と東大 大日本帝国の生と死 上」や「〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性」等を読む限り、旧陸軍の精神的構造はどう考えても戦争を泥沼化させただけではないかと思う。むしろ反面教師として反省し歴史的教訓にすべきものではないか?と考える私は左翼であろうか?エリートに対するルサンチマンが権力化するというのは極めて厄介ということを知らないのは、エリートだけで固まってのほほんと仕事をしている人たちの発想。
英国の階層社会を例に話しているが、少し現実離れしている気がする。
昔の下層階級=労働者=左翼 という構造を引きずった議論。
でも保守派の人が確りへタレを批判することはいいことだと思う。一部の保守派の論客はへタレ右翼を自分たちの支持者だと甘やかしている傾向があるから。こういう保守派のおばちゃんが馬鹿へタレ保守を「中国の悪口を言えば私たちの仲間に入れるかと思ったら大間違いよ!」とビシッ!と叱ってくれると世の中も良くなるでしょう。
『正論』 4月号
「西洋流のエンペラーとはちがう天皇家の特質」松原仁衆議院議員/さかもと未明(漫画家)
http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060301#p1
- 松原仁 「自国の旗を掲揚してはいけない」とか「国歌を歌ってはいけない」と教育された子供が、果たして国家に対して自信を持つだろうか。国家に対して自信を持たない子供が、自分に対して自信を持つだろうか。教育の根本問題にはそれがあり、ニート問題につながると私は思います。
- 松原仁さんの話ってわかりやすいんだけど、わかりやすさが災いして嘘になっている。
- 国旗・国家を歌うなと教育した教師はこれまでわずか数名存在したのみ。日教組の組織率は低い。日教組に所属しても全員が国旗・国歌に反対とは限らない。反対していても多くは学校で決まった以上、子供に「歌うな」とまでは言わない。という3段論法で極めてゼロに近いレアな事象がさも普遍的存在しているかのように語っている。
- 自国への自信は「国が富んでいる」「文化的に発展している」「国際的に通用する人材を輩出している。」「国民の生活満足度が高い」といったことから生まれるのであって、国歌や国旗はそのシンボル。国旗を掲揚して国歌を斉唱すれば国家に対して自信が生まれるわけではない。
- 自分への自信は国歌への自信とは直接関係ない。むしろ自分に自信がない人間が日本国民としてのアイデンティティに依存する現象(所謂へタレ)が今問題になっている現実を無視している。
- 「愛国教育をすればニートが減る」そんな単純な話ではありません。ニートで自称愛国者は現在でも多数おりますよ。
以下は自論ですが、すべての職業の人が誇りを持てるような社会にすればいいのではないでしょうか?きれいごとを言えば「職業に貴賎なし」の思想を徹底させる。そして社会が高コスト体質になるのを覚悟で、現在低賃金労働者が充当されている職業にも評価を与えある程度の所得を与える。
理想論ですが、そうすれば日本国民としての満足度も上がり、愛国心も芽生えますよ。
こうなると国家社会主義になってしまいそうですが。