価値観外交?

 安倍首相が提唱する「価値観外交」を支持する自民党の中堅・若手議員43人が17日、「価値観外交を推進する議員の会」を発足させた。歴史教科書問題などで安倍氏と行動を共にした盟友たちが名を連ね、会長に古屋圭司氏、顧問に中川昭一政調会長が就任した。出席者の多くは安倍氏と「理念」を共有する議員で、派閥横断で結びつく事実上の「安倍派」の様相を呈している。

 価値観に基づき判断するというのはかねてから私も持論だ。「価値観外交」と聞いて少し期待したが、全く期待外れであった。
日本は冷戦終了後も

  • 中国や北朝鮮の人権を問題視する人は、国内では人権の価値を相対的に低く見る*1
  • 国内で人権を重視する人は、中国や北朝鮮の人権問題に甘い。
  • 中国とは価値観を共有しない、アメリカと共通の価値観がある。と言う人が意外と自由や民主主義に懐疑的であったりする。
  • 封建的、儒教的価値観を保持する人が、中国や韓国を敵視していたりする。

 実は、価値観の共有性なんてのは言葉のごまかしで、価値観は二の次で、どの国が好きか嫌いかで判断しており、価値観と友好国の関係はむしろねじれ現象を起こしていることが多いのである。
  このねじれ現象が、安倍外交のミスにつながっている面は否めない。アメリカをはじめ世界各国で北朝鮮による拉致問題に理解を示している国は「人権問題」として支持しているのに、日本の政権中枢の人たちに人権を重視する価値観が余り見出せないので萎えてしまうのである。慰安婦問題で余計な悪印象を与えたのも、結局表面的親米主義者がアメリカの価値観を全く理解してなかったからだ。
 戦後レジームというのは日本をアメリカ的価値観で改革することであったが、それを見直すべきといっている人たちと今回の自民党内で「価値観外交」を唱えている人たちの一致度が高い。どうやら彼らは言葉の矛盾を無視したまま、また親米反中ありきの外交を推進しようとするのであろうか。それならば無価値外交と名称を変更すべきだ。

*1:極端な人は人権と言う価値観を敵視