俺は、君のためにこそ死にに行く

 それ程偏った映画ではないので、偏見を持たずに見た方がいい映画だと思う。石原慎太郎はリアルな戦争体験を持っているから、ネットウヨ坊みたいなリアリティーのない戦争賛美はしないし、東條英機まで英雄だとかホザくアホとは違い、戦争指導者と兵士は分けて描いているし、戦争の無常さはしっかり抑えてはいる。
 ただ私はピュアな人間ではないので、ピュアな人間をどうしても美しいとは思えない。これは思想の問題というより、なんか「○○は正しい。素晴らしい。美しい」というように積極的な価値観を信じて揺るぎない人を、どうしても胡散臭いと思ってしまう自分がいる。たぶん、私みたいな根性が曲がった人間より、「○○は正しい。素晴らしい。美しい」と信じて人生を全うした人のほうが幸せなのだと思う。より心の豊かさを実感した人生を送れるとは思うが、どうしても自分はそう在りたくないという拒絶感を回避できない。
 だから私は特攻隊員やこの定食屋のおばさんを自分の価値観で美しいとは思えない。ただ今と時代が違う分、胡散臭いという気持ちはない。かといって可哀想な被害者とも思ってないし、犬死とも思っていない。自分の中で特攻隊として散って言った先人の方々に対して、しっくりくる言葉がないのだが、不幸の中にも一つの価値観を信じ全した人が味わえる幸福感を持って散っていっただと思う。これについて現代の価値観でどうこう言うものではないと思っている。
 先の大戦を語る時、多くの人は「彼らがいたから今の日本がある」という言葉で締める。私はそのことは全く否定する気はないが、戦争で死んだのも生き残ったの運命であって、生き残った者が死んだ仲間の分も頑張ったから今の日本があると噛み砕いて実感したいと思っている。戦術論的に最後の抵抗で終戦を少しでも遅らせたことが、戦後の講和条件で少しでも日本に有利な条件をもたらしたと彼らに感謝するというような議論は意味がないと思う。
 もう一度、身近にいる戦争で生き残った私たちの祖父母に感謝したい。戦争を体験した世代の話を聞くと、現代のリアリティーのない歴史修正主義が実にナンセンスかよくわかる。