中国毒ギョウザ問題 90年代的価値観を見直す契機に

 この問題において、我々消費者も反省せねばならないことがある。「消費者利益至上主義」とその現象としての「安物賛美」である。これらを「90年代的価値観」として紐解きたい。
 80年代後半にアメリカからの外圧により、輸入自由化大店法の運用緩和による大型スーパーの進出などを背景に流通業主導の「価格破壊」が盛んに宣伝された。都市住民の多くは自民党と商店街や農家が癒着しているために消費者が高いモノを買わされていると不満を持っており、当時「生活者」という言葉を多用した社会党がこの不満層を吸引しブームを起こしている頃で、複雑な流通経路を破壊し消費者に安い価格で商品を提供する「価格破壊」は拍手喝采を以って支持された。
 90年代になり、「様々な規制緩和が消費者の利益になる」と新自由主義が宣伝され、かつて社会党を支持した層が、新自由主義を唱えた新進党などにこぞって流れた。自民党新自由主義的政策を採用し、規制は労働分野にも及ぶ。輸入品と流通改革に加え、「正社員をアルバイトに置き換える」という手法で価格破壊は更に進み、相変わらず消費者はそれを賛美し、マスコミも「生活者重視」の美名の下、これを賛美し続けた。
 この構造が少しおかしいと言われたのが、まず労働分野からであった。「消費者利益」ばかりに目を奪われていたが、多くの国民は消費者であると同時に労働者なのである。「価格破壊」→「そのために労働コスト削減」→「賃金低下」→「消費不振」→「更なる価格競争」という負のスパイラルに陥っているのに多くの人が気付くようになった。
 毒ギョウサ問題で改めて反省すべきは、「自由貿易」への過度の信頼である。自由貿易は安い食料品の供給を可能にするのは事実だが、それが幸せかどうかは相当疑問である。国産品が安全かどうかは、それはそれで疑問だが、少なくとも国産品に関しては国や自治体が直接チェック指導が可能だし、なにより国内の農家や食品メーカーは日本人にそっぽを向かれたら即廃業なので、頑張るしかないのである。
 ところが外国の食品に関しては、日本の機関が直接チェックするのは難しい。アメリカのように安全に不安の残る食品を政治的圧力で捻じ込もうとする国もあるが、属国であるわが国はその圧力に屈するしかないのである。中国も、別に食料を日本に輸出しなければならない経済状況ではないので、恐らく強気に出てくるであろう。全般的に食料は世界的に供給不足状態で、日本のような輸入依存型の国の立場が弱いのである。
 「自由貿易」を過信し、日本は農業分野は苦手分野だから止めてしまえみたいなことを豪語する人がいるが、そろそろ反省した方がいいのではないか? やはり、食料はある程度国内で賄うべきだし、自国の食品を食べる機会が多い方が国民は幸せだと思う。