政治に関心の薄い層に残る自己責任狂

 今回の派遣村バッシングの特徴は、普段政治的な話題を取り上げない普通のブロガーやMixiで普段他愛のない日記を書いている人が、かなり辛辣に弱者に厳しいことを書いていることです。その意味で、ネット右翼や媚権派が騒ぐような事件とは少し様相が違うと感じました。
 そして比較的政治的な関心が薄い人の間で、政治ブロガーの間では支持を失いつつある「自己責任狂」が根強く信奉されているという事実を知らしめられました。
 ただこれは政治的関心の薄い人たちの間で、一昔前の価値観が残っているという訳でもない気がします。政治的関心の薄い人は、日本社会がどうあるべきで、そのために政治はどうすべきかとい発想をしません。現実社会で起きていることは運命と達観し、その中で自分は何をすべきかという発想をします。
 政治への関心が薄く、現実社会を不可避なものと達観している人は、本人は政治性を否定するでしょうが、受動的な保守主義者と言えるでしょう。むしろ社会を右傾化させようとしている人は愛国的革新主義者であって、受動的な保守主義者こそ本来の保守主義者かも知れません。
 彼らは社会はこうあるべき、政治はこうあるべきと主張する人を毛嫌いする傾向にあります。政府に恭順するのが是という意味で、骨の髄から保守なのです。
 ところが失業問題はほとんど政府や企業の責任の問題です。個人ができることはより質の高い労働者になるために努力することくらいで限度があります。仮に失業者が努力してもそれに見合った付加価値の高い労働需要が創出されなければ、個人の努力は無駄骨になってしまいます。そしてこれまで企業に職業教育を依存してきた日本には、失業者の職業教育に対する制度が未整備です。これですら国の責任の範疇が大きいのです。
 このように、自己責任ばかり強調して、政府や企業の責任を主張することを嫌悪する態度を取るというのは、失業問題解決には無意味なことです。ただそのことを、政治への関心が低く、現実社会で起きていることを運命と達観してしまう受動的保守主義者に理解させるのは相当根気のいることのように思えます。