「時代の流れ」という無責任な言葉が飛び交う中廃止されるブルートレイン

 私は「時代の流れ」と言う言葉が大嫌いだ。これほど無責任な言葉はない。誰が作ったかもわからない潮流に無批判になり、思考停止する態度そのものである。
 先週末に東海道線からブルートレインが消えたが、多くの人が「これも時代の流れ」と思考停止してただ感嘆に耽るだけであった。
 結論から言うと、東京から九州方面への寝台列車の需要は必ずあり、北海道方面の寝台列車同様高級化路線で差別化すれば十分に採算に乗せる事ができた。近年ブルートレインの乗車率が低下したのは、設備投資を一切せずに陳腐化した車輌により惰性で続けていたからに過ぎない。
 JR各社が夜行寝台列車に不熱心だった理由はいくつかある。

  • 新幹線や航空機の台頭により、移動手段としての優位性を失った。
  • JR4社に跨り、調整が面倒。
  • 夜行列車以外の客車列車が廃止され、夜行寝台のためだけに電気機関車を抱え、機関士を養成するコストが割に合わない。
  • 選択と集中

私は、「選択と集中」によるものが大きいと考えている。前の3つは、いくらでもカバーできる要因に過ぎない。つまり同じ努力をするなら、各社とも新幹線や都市圏での増収策を講じた方がはるなに増収余地があるからである。確かに、夜行列車を採算ラインに乗せることは可能だが、得られる利益はほんの僅かであろう。僅かな利益のために経営資源は使わない。黒字の事業でも止めることがあるのが「選択と集中」の考え方であるから。
企業経営の理論に対して批判の余地が許されない昨今の情勢であるが、そんなことのために日本の観光資源の有力ツールが潰されるのである。
本当に「時代の流れ」という言葉を以って我々は無批判でいいのか?かつて路面電車が「時代の流れ」という無責任な言葉の中次々と廃止された事実を忘れてはいけない。