都バスの24時間運転は本当に失敗だったのか?

都バスの深夜運行は思いつき政策か? | 財経新聞
 結論は失敗だったと思う。ただ記事にあるように、トップの思いつきそのものが悪であるという結論は拙速だと思う。民間企業ではトップの思いつきを実行するケースは多々たる。スピード経営の必要性が叫ばれ、ボトムアップで施策立案をしている余裕がなくなった昨今そのような施策決定は増えているが、今のところそれが問題視される意見は聞かない。
 今回の失敗について多くの人が言及して通り「他の鉄道バスが運休している時間帯に、スタンドアローンに短区間にバスを運行しても需要が喚起できなかった」ということに尽きる。つまり深夜にバスを運転することが間違いであったというより、やり方が悪かったと言える。
 「神は細部に宿る」と言われる通り、結局細部設計がダメだったらその施策は失敗する。その点においてこの政策が失敗であったことを覆す余地はないが、「こうやれば成功したのでは?」という議論まで葬り去ってはいけない。民間企業で何か失敗があると、失敗の原因分析をしつこくやるが、政策になると、政策そのものを否定したい勢力が「細部設計の失敗」を攻撃して、有権者もまんまと政策そのものを否定する論調に乗せられて、「なぜ失敗したか」が議論されないまま、「その政策そのものが悪い」と安易に結論づけられて終わってしまうことが多々ある。今回もそのケースではないかと危惧され、失敗ではあってももう少し「こうやれば成功したのでは?」という議論が欲しいところだ。
 もちろん猪瀬前知事を擁護する気はない。細部設計をしたのは猪瀬前知事本人ではなく交通局のスタッフであろうが、自分の思いつきが実行されることで満足してしまい、細部設計の問題点を見抜けずに承認してしまったのは猪瀬前知事だ。交通局幹部は面従腹背で最初から失敗する制度設計をした可能性もあるが、仮にそうだとしても都幹部との信頼構築ができなかったのは猪瀬前知事の責任だ。

成功する細部設計は可能であったか?

 失敗の原因が、「他の鉄道バスが運休している時間帯に、スタンドアローンに短区間にバスを運行しても需要が喚起できなかった」であったとすると、解決策は以下の2つ考えられる。
1.距離を長くして繁華街から住宅地へ帰る需要を完結させる。
2.他の鉄道・バスも深夜に動かし、ネットワークを築く
 1の場合、例えば運行区間を渋谷―六本木―新橋―銀座―勝どき―豊洲 とすると、ある程度完結した需要ができる。ただ距離が伸びるので採算分岐点も上がり却って赤字が増えるリスクも高い。
 2はいくらなんでも無茶のように見えるが、例えば羽田空港から渋谷に到着するバスがある。
そのバスは1:49に渋谷に到着するので、六本木から同じ時間に到着するバスを設定、また渋谷2:00発の二子玉川、上町行きのバスを作る。つまりターミナル駅をハブにしたバス網を構築すれば、深夜に10路線ぐらいのバス路線を作るだけでもそれなりのネットワーク構築が可能である。
 私の思い付きではこの程度しか出てこないが、様々な角度で総括すれば妙案も出てこよう。「東京でバスを24時間運転すること自体が間違い」という結論に至るのはまだ早いと思う。

細部がボロボロの政策の評価について

 細部に問題があったために、「政策そのものが失敗」と結論づけられる政策はこれに限らず結構多いような気がする。最近では橋下市政や民主党政権の施策など…
 もちろん、「神は細部に宿る」ので、細部に問題のある政策を遂行した為政者は何ら擁護できるものではないが、「細部設計の失敗」を攻撃して、政策そのものを否定する言説をそのまま鵜呑みにするのもまた愚かだ。政治家や政党に罪はあっても、政策に罪があるとは限らない。
 猪瀬都政民主党政権は、失敗のレッテルを張られて終わってしまっているので、過去の失敗例の研究として扱うしかない。ただ橋下市政に関してはまだ高い市民の支持があって続いているおり、失敗と批判されている政策について、失敗を反省し修正することで挽回のチャンスを与えられている。
例えば大阪都構想や校長や教育委員、区長などの公募制も、制度そのものが悪というより細部の制度設計に問題があると事例だと私は考えるが、どうも意固地になってその細部の問題点をも認めようとしない嫌いがあり好感が持てない。確かに橋下市政の批判勢力の一部には「細部設計の失敗」を攻撃することで政策そのものを否定する傾向があり、また市職員も面従腹背で最初から失敗して市長に恥をかかせる施策設計をしている可能性もなくはない。かなり酷い問題が発生してもなお橋下市長を支持する市民が多いのはその辺の問題点を認識している為と思われるが、それが強すぎて橋下市政の細部の問題点を許容し、また橋下市政にその過ちを改めることを強く求めない緩い世論を形成しているのは逆に問題である。