女性の社会進出 VS 低付加価値労働の内制化

 一昨日のエントリーで、低付加価値労働を日本国内から減らせと書いたが、id:synonymousさんより「子育て、家事労働はどうするんだ、って言う観点を欠く」と鋭い指摘をいただいたので補足したい。
 私は日本では高所得者でも、お手伝いさんを雇わず自炊する日本のシステムは、お手伝いさんという低賃金労働の存在させないという点で評価したが、一方でお手伝いさんという職業が高付加価値を生み出す女性を家事や育児から開放することにより、より国益に貢献するケースもあるという視点に欠いていた。
 日本は世界でもっとも職業による賃金格差が少ない国(過去形か?)で、その構造自体は評価されるべきものである。しかしこの構造が女性の社会進出を阻害していた点も否めない。例えば中国では高学歴の女性が専業主婦になることはまずあり得ない。これは政治体制の差というより、職業による賃金格差が著しく、高学歴女性が得られる所得を100とすると、お手伝いさんのコストは20ぐらいだったりする。そんな人間が家事をしてはもったいない。付加価値の低い家庭内労働*1はお手伝いさんに任せて外で高い付加価値を生み出した方がいいという発想に当然なる。それにより、80の価値が生まれる。この発展途上国の多くで同様である。
 一方、日本の場合は高学歴というだけでは高い賃金は保証されず、得られる賃金を100として、お手伝いさんも相対的に高いコストで80ぐらいになる。子供を預けたり、家事から解放されたところで20ぐらいの価値しか生まれない。それならということで専業主婦になり、すべて内制化しようということになる。老人介護等の問題もぞうだ。付加価値を期待できない人は、コストをかけないために内制した方がいい場合が多い。*2
 もっとも福祉の充実した先進国では、これらのコストを政府の責任で行い、コストは広く国民で負担しようという発想もあるので、低いコストで子供を預けられれば、さほど高い付加価値を期待できない女性であっても、社会進出が可能になる。
 不思議なことに、格差の縮小は女性を家庭に回帰させ、格差拡大は女性の社会進出を促す(高付加価値を生み出すエリート女性に限った話だが)。古いフェミニズムが社会の格差縮小を目指す運動と共同歩調を取る傾向にあったことを考えれば皮肉だ。キャリアウーマンと呼ばれる層で構造改革への期待が高く、小泉-竹中ラインへの支持が高い現象も、こう考えると頷ける。

*1:あ〜、こんなこと言うと山谷えり子に殺される!

*2:子育てや老人介護を経済合理性で論じると、保守派の人からたいてい糾弾されるのだが……。