刑法と国民感情

 人間は知識を身につけると左翼になると言われるが、ことに法学はその傾向が強い。日本人は本質的にリベラルで個人主義的な刑法の思想を受け入れていないのであるが、現行法を知識として享受するのが法律家としての前提であるため、法の知識を持つものは本音はともかく表層的なリベラリストになる。
 そもそも日本人の多くは刑法の責任主義を受け入れていないのであるが、責任主義近代法の大前提であり、法曹界で議論が為される余地がないものである。
 結局、法律を知らない無知な人たちと法律家の間でまったく議論が噛み合わない状態が半永久的に続いており、結局「無知な人たち」はどんなにわめこうが騒ごうが専門知識を持った人には勝てないのである。
 若干形勢が変わったと言えば、ニュースキャスター等の亜エリートが、これまでは知的ぶって近代法の精神を享受する態度を取ってきたのを、最近では無知を晒しても国民感情に近い立場を取ることを是とするケースが増え、刑事裁判で責任能力がないと無罪判決が出たり減刑されるケースにおいて「法律はいったい誰のためにあるのでしょうか」*1とセンシティブな発言をするようになった。ただこのような発言は国民を更に近代法不信に駆り立てることはできるが、近代法を見直す動きには1mmもならない。国民感情と法律の距離をますます拡げるだけである。
 そういえば最近もこういう事件があった。

 もちろん心神喪失で無罪になった人が野放しになったら、治安はどうなるのかという問題に対しては、法曹界も対応せねばならない。特別予防論の立場においても処置及び無力化の対応が必要だからである。これについては精神科医療施設への処置入院という形で一定の対応を行ったことになっている。
 ただそれでも犯罪被害者遺族の多くは納得しないであろう。ただこれ以上の対応は日本が近代法を捨てる以外には道がない。何しろ近代法は「刑は復習ではない」という思想が大前提である。刑に復習を期待する意見とそもそも齟齬を起こす宿命なのである。
 最近は知識人の中にも厳罰主義をやたら唱える人が増えているが、基本的には教育論、治安対策の粋を出ていない。最終的には近代法と国民世論の齟齬に行き着くのであるが、そこまで踏み込もうとする知識人はなかなか出てこない。多くの場合、個人的な感情と専門家としての立場を使い分ける「逃げ」を行う。
 それは近代法を捨てるリスクを理解しているが故の答えを出しているのか、単に頭が悪くてそこまで力が及ばないのか?

*1:少なくとも被害者のために存在していないのだけは確か