進歩的強迫観念

 1人の女性が一生に産む平均子ども数である合計特殊出生率が2003年に1.29と戦後最低になったとのニュースを見て、私の上司が「女性がみんな働くからこうなるんだ」とポロリと言ったことがある。こんな発言はどうでもよくて、赤提灯に行けばオヤジさんがよく口にする論評である。ところが、このような意見で市井ではよく聞くが、マスコミや学者の方が口にしたのを聞いたことがない。世に言う保守派と呼ばれる論客の方々さえ、育児支援等を口にし、「女性は家庭へ」という方はなかなかいないのが不思議である。
 やはりこの問題に関しては強い進歩的脅迫観念が働いていると思われる。つまり「女性が働くのをやめ、専業主婦をやり、子供を生むべきだ」という思想が時代遅れ、啓蒙されていない人間の発言、教養のない人間の発言だという観念がすでに固定化してしまっており、本音ではそう思っている人も、自分がそういう人間と思われたくないとの強迫観念が働き口をつぐんでしまう。
 日本の戦後は、進歩派知識人によって、すべての事象に「進んでいる、遅れている」のベクトルが貼り付けられ、世論をいわゆる進歩的方向に誘導する歴史でもあった。しかしネット社会がそれを瓦解させたとも言える。これまで口をつぐんでいた「遅れた」人が匿名で「遅れた」発言をする場を与えられ、その発言を見た同意見の人間が自分以外にもそのような意見を持つ人間がいると知り自信をつけて声を高める。「ネット保守」の誕生である。
 女性の社会進出に関してネット保守の反乱が起きないのは、実は彼らの多くが配偶者を1人養うだけの所得を得ていないという現実に関係しているのではないか?