靖国問題

靖国問題 (ちくま新書)

靖国問題 (ちくま新書)

 結論から言えば著者は反靖国派なのだが、靖国についての歴史的な議論の積み重ねの上に現在の問題を構築できるので、結論に異論のある人も読んで損はない。
 私の感想は、最終的には靖国問題は心の問題で、中途半端な気持ちで靖国派の遺族や旧植民地の直接被害者の同情者になってはいけないと実感した。戦争の問題はあまりにも重く、戦後世代が中途半端に介在すべき問題ではない。
 日本の敗戦を受けて、世界は日本人すべてが瞬間的に思想転向して民主的市民に生まれ変わったのを不思議な眼差しで見ていた訳だが、実は思想転向の実態は複雑である。特に徴収された日本兵の遺族は複雑で、様々な反応があったが大別すると

  1. 夫や息子は立派にお国のために死んだ。戦後はその犠牲の礎の上にある。
  2. 夫や息子は死んだが、当時としては最善の身の振り方であった。そういう時代だから仕方なかった。
  3. 夫や息子は為政者の失政により非業の死を遂げた。許せない。

 等と様々だ。主に現在の靖国派の方々は1の考えの遺族が多い。その息子の世代である団塊の世代は、戦前の価値感を引きずる親の世代に反発し、糾弾するような態度を見せるのであるが、私は急激な価値観の変化を受け入れろというのは酷な訳で、私はその世代の方々はそのままの思想で余生を過ごされても構わないと思う。
 ただ問題はこの思想を中途半端に受け継ぐことである。90年代以降、モラルの低下や、凶悪犯罪の増加*1により、倫理や道徳を重んじる風潮が若い世代に萌芽してきている。そこに戦前的な教育勅語靖国史観を流布する知識人があらわれ、ごく自然に受け入れられる土壌が生まれつつある。
 これは適当な特効薬をちらつかせて、これを飲めば現代的な問題がすべて解決するような安心感を与える宗教的なトリックであり、実にチープなテクニックである。現代的な問題は極めて複雑で、戦後的価値観をひっくり返せば解決するような代物ではないのだが、思想の貧困化が安易なトリックを蔓延させている。これについては今後とも大いに批判して行きたいが、長くなるので、また次回。

*1:統計的にはむしろ減っているのだが、ほとんどの人が増えていると信じている。問題は犯罪の質的変化であって量的変化ではない。