マスコミによる安易な落下傘候補賛美論

 私が小泉流をセミプロ流と言って評価しないのは、「郵政にYesかNoか」が安易というのは昨日申した通りだが、落下傘候補賛美論も?である。テリー伊藤などは「落下傘候補を批判するのはおかしい。イギリスはそういう仕組ができている。日本の有権者が意識を変えないといけない。」などと言っているが、欧米で行われていることが進歩的であるという余りにも単純なレトリックはいい加減卒業して欲しい。
 完全に地域代表的な性格を奪いたければ小選挙区を地域別にするのを止めて、乱数表で選んだ意味のない組み分け別の小選挙区とか年齢別小選挙区にすればいいのである。なぜイギリスでも地域別小選挙区を残しているか、そこまで考えなければいけない。
 利益誘導は論外としても、地域の問題というのは多数ある。地域によって産業構造、失業率も違う。観光客誘致や環境問題、災害復興など地域固有の事情があるのである。やはり地域別小選挙区は有功だと考えているからである。もちろんその地域出身の人や住民が必ずしも立候補しなくてもいい。ただその地域の事情や問題を理解した人でなければいけない*1。落下傘賛美論の多くは熟考がなく、別にイギリスの政治を勉強した形跡もない。広告代理店が書いた政策擁護のシナリオレベルのお粗末なものが多い。
 セミプロジャーナリズムの発想の最大の問題は「東京中心的」なことである。尤も小泉政治が東京中心的であるから、東京中心的なジャーナリズムが小泉政治付和雷同し易いのであろう。東京中心的ジャーナリズムは地方主義古い自民党政治と同一視して葬り去ろうとしているが、小泉自民党は地方の有権者がどのような思いでこの選挙を見つめてるか冷静に考えるべきである。古い自民党をぶっ壊して新しい自民党は結構だが、古い地方政治を壊した後に来る新しい地方政治のビジョンも示さなければ、小泉ブームは都市部の一過性のものに終わり、自民党は地方での取りこぼしが続出するであろう。

*1:もっとも大都市の選挙区は地域問題が余り重要でない地域も存在するが