爆発寸前のホンネ世論

 北海道では衆議院選挙より駒大苫小牧の事件の話題で持ちきりだ。私はもちろんいかなる暴力も肯定すべきでないし、駒大苫小牧を擁護する気はない。この件は、明徳義塾の問題でも言及し私は「体罰賛美論者」を徹底的に貶している。しかし北海道ではホンネ世論が爆発寸前である。
 ホンネ世論とは

  • 殴られた生徒が悪い。
  • スポーツ指導には体罰は必要。
  • 俺もよく殴られた。今では殴った先生を感謝している。

 といった意見だ。
 こういう意見は赤提灯レベルでは活発に飛び交うが、公の場では抹殺される。教育関係者や公人はこのホンネレベルの意見を言うと責任問題に発展する。NHKもこの問題について街頭インタビューを放映したが、このような意見は出ない。恐らくこのような意見もかなりあったはずだが、カットしたのであろう。
 私はホンネ世論には賛同しかねるが、黙殺するのは危険である。私はかつて「進歩的強迫観念」という3/29のコラムの中で、知識人やマスコミがある一定の意見を強権的に押さえ込むことの危険性を述べた。知識人やマスコミがある一定の意見を発する人間を「遅れた人間」「啓蒙されていない人間」「知的レベルの低い人間」と一方的にレッテルを貼り、言論さえ許さない行為である。この時は「女は家庭に入るべき」という意見が「進歩的強迫観念」によりり抑圧されているという例を挙げたが、これも同様であろう。
 日本の草の根保守主義が進歩的知識人により張り巡らされた「進歩的強迫観念」に対し強いルサンチマンを抱き、強い結束力と強い反動を生んだことを忘れてはいけない。私はホンネ世論にも公の場での発言の機会を与え、正々堂々と議論した方がいいと思う。
 別に体罰容認を豪語する政治家が出たって構わない。人間間の信頼関係さえあれば体罰が有効な場合もあることは認める。しかし人間性悪説に立てば、いかなる暴力も認めないという原則を崩す訳にはいかない。我が子を虐待した親が「しつけ」と称して自己弁護している現状を鑑みてもそれは明らかだ。