とんねるずの石田さんのおかげでした
満を持して、録画していた番組を見る。
- 出演者 とんねるず 高島彩
地井武男 松本伊代 工藤静香 渡辺満里奈 牧瀬里穂 岸田今日子 小野みゆき 鶴久政治 アンタッチャブル 石井正幸(元番組プロデューサー)、伊藤利尋(フジテレビアナウンサー)、浮田少年、小沢俊一、小田原敬(番組照明スタッフ)、怪人ベティ、勝俣州和、神波憲人(元野猿)、菊原共基、古賀薬局(元ペニーズ)、ゴテ(元野猿)、定岡正二、ジュリー(元野猿)、シュウ(元野猿)、ジョッカー①、ジョッカー②、スーさん(元番組ディレクター)、高久誠司(元野猿)、ダチョウ倶楽部、デビット伊東、ドジ井坂、成井一浩(元野猿)、バカ(元野猿)、平山晃哉(元野猿)、広田明、プリンプリン、ペナルティー、ボッキー潮田(元モッコリーズ)、ホッシー(元野猿)、穂積ぺぺ、森川正太、山本圭壱(極楽とんぼ)、結城貢、吉田照美、若槻千夏、輪島大士
ゲスト懐かしすぎ。舎弟軍団やドジ井坂や結城先生、浮田少年は懐かしすぎる。さすがにこの辺のゲストはお茶の間の方には???であろう。中1の頃、親に隠れて土曜の深夜にオールナイト・フジを見ていた頃を思い出す。ここで山崎美貴とかゲストに来ていたらかなり通好みであっただろう*1が。さすがに茶の間受けしないであろうし、貴明ともいろいろ噂のあった人だからまずいか……。司会の高島彩は25歳だったか。こんな昔の番組は見ていないであろう。
あとゲストが多すぎて、前列のゲスト以外ほとんど絡みなし。
あとジョッカーって何だ?倉田プロの人間だろうけど居る意味あるのか?であったらこんなゲストにも来てほしかった。
- 伊藤淳史(チビノリダー) 恐らくスタッフはキャスティングを狙っていたはず。
- 葛城ユキ 本人の前で再度石田弘EPが謝る姿を見たかった。
- ボブ市川 ボッキー潮田、怪人ベティーが来ているなら居てもいいはず。
ベスト100の中から
- 93位 89.03.23M 卒業式によくある風景
チェッカルズ懐かしい。チェッカーズをチェッカルズと言うなんて、言語学上の子音の有声化という知識がないと出てこない発想だね。「ONE NIGHT GIGORO」は大して売れなかった曲だが、このコントで有名になってしまったチェッカーズの迷曲。 - 91位 85.09.17 夕やけニャンニャン「ベティに挑戦」
とにかくワンフーが暴れるだけという勢いだけのコーナーでした。当時の夕ニャンの支持層というのはクラスの中でも結構悪そうな奴らが多かった。今のアイドルヲタがクラスの中で日陰にいて暗そうな連中であるのと随分様相が違っていました。 - 83位 83.01.30 オールナイトフジ「怪人ゴングショー」
浮田君の鎌ヌンチャクが、とんねるずが新春かくし芸大会でやって有名になりましたが、他にも奇人変人系の怪人が出てました。胃袋で電球を光らしたり、金魚を飲んだりするおっさんも出てました。 - 71位 87.01.14 舎弟コーナー
基本的にモッコリーズとペニーズの舎弟コーナーはオールナイトフジのコーナーだったのだが、何回か夕ニャンでやったことがある。基本的にはザリガニくわえとお湯で坂道が多かった。単なるいじめコーナーだったけど。 - 69位 88.11.24 仮面ノリダー「恐怖カンガルー男」
言わずもがな、チビノリダー初登場の会。伊藤淳史は当時4才で当時のことは何も覚えていないと言うが。今回キャスティングできなかったのはつくづく残念。 - 52位 83.12.10 オールナイトフジとんねるず初登場
今回一番古い映像。さすがに俺もまだ小学生の時だから知らない。土曜の朝「モーニングサラダ」は見ていたので、どんねるずの存在は知ってはいたが。 - 35位 88.10.27 転校生によくある風景
ノリダー、モジモジ君に次いで定番だったかな学園コント。宮沢りえかチェッカーズが定番ゲスト。宮沢りえの「ざけるんじゃねぇ」がお約束だった。志村けんとは違って、その時一番旬のアイドルにけ結構凄いコントをやらせるのがこの番組の凄いところであった。 - 31位 91.10.24 ミラクル・ラヴ
牧瀬里穂も当時旬なタレントだった。なぜか最後にトラックからダーイシが出てきて「すまなかった」と平謝り。石田Pは始末書出すのが仕事なぐらい部下の始末に追われていたから、しょっちゅうあんな感じで誤っていたのであろう。 - Quiz 89.3.30 高級クラブによくある風景
スタッフの内輪ネタを即コントにしてしまうパターン。石田さんて実はそんなに本人がテレビに出ることはなくて、我々の世代だと夕ニャンの卒業式(↓の写真)でお馴染みであった。紳士的なイメージがあるのだが?本当にあんなに酒癖悪いの?石田さんじゃなくてかなり貴明本人が混じっている気がするが。クイズは元ペニーズの古賀薬局が正解。この人もっとひょろっとしていたはずなのに、結構太ったんじゃないかな?こんな人がテレビに映っても1000人に1人も知らないであろう。
←私のダーイシ氏のイメージ |
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- 29位 90.04.05 仮面ノリダー「恐怖キングジョッカー男」
すごい爆薬の量。恐らくロケに何千万円の経費をかけているであろう。コントの方が本物の特撮番組の10倍は予算かけているのでは?今はとんねるずのギャラが高騰しているので、ロケやセット等の純粋な番組制作費に費用を回すのは不可能で、「食わず嫌い」みたいな低予算のコーナーしかできなくなっているのであろう。非常に残念だ。 - 27位 92.04.30 仁義なき戦い チェッカーズとパイまみれ
ドリフ並のひたすら食べ物粗末ネタが多いのもこの番組の特徴だった。チェッカーズ解散直前の出演で、この時既にメンバー間の確執は拭えぬものになっていたのだろうか? - 24位 92.12.24 サルコント
小泉今日子とやるサルの無声コント。お笑いの原点みたいなコントで好きだった。最後はお約束の水落ち。小泉今日子でも誰でも構わず水に落としてしまうこの番組は凄かった。 - 22位 85/07.02/10.15/10.29 夕やけニャンニャン「ゴジテレビ」
とんねるずの原点のようなコントを最後までやっていたコーナー。個人的にはサリーちゃんが好きだった。 - 4位 90.12.27 井上陽水物語
これは面白かった。基本的に現場任せの石田Pだけど、こういうキャスティングする時はさすがに力を感じる。 - 1位 65.02.22 冠婚葬祭部長ダーイシ
百戦錬磨の大物プロデューサーが冠婚葬祭でこんなにカチカチになるのでしょうか?今月末の渡辺満里奈さんの披露宴、恐らくスピーチ頼まれていると思うが、大丈夫? - 最終Quiz 結局、火曜ワイドスペシャルの枠を取るために石橋貴明が一人で当時の日枝久編成局長のところに直談判に行った。当時石田Pは同席していなかったことが判明。この頃、フジテレビは横沢班全盛で、ゴールデンは横沢班と疋田班や王班で抑えられていて、石田班は深夜や夕方の番組でそこそこの数字は取って評価は上がっていたものの、社内的な力はなかった。それに石田さんはどちらかと言うと趣味人的なテレビマンで自由なことが出来る時間帯で自由な番組を作りたいという考えなので、貴明なぞはこのまま石田さんについて行ったらゴールデンで番組を持てる芸人になれないとの焦りがあったのではないか?結果的に「みなさんのおかげです」が成功し、やがてひょうきん族に代わるフジテレビの看板バラエティーになり、第2制作部でもいつのまにか石田班が主流派になり、石田班出身者が要職を占める現状がある。結果的にこれでフジがとんねるずに頭が上がらない構図が出来てしまった。
- 最終問題のトップはアンタッチャブルの柴田英嗣。柴田には結婚おめでとうはナシか*2?この番組生放送だよね?
最後はフジテレビ退職というのはガセでフジテレビに残るというオチ。単なる誕生日企画であった。またもやフジテレビの内輪ウケ企画であった。最後は大物歌手による「ラブ・ミー・テンダー」のメドレー。このVはミュージックフェアのスタッフが担当している。やはり石田氏はお笑いプロデューサーではなく音楽プロデューサーであることを実感。