新自由主義と性善説

 日本の法律は性善説だという意見を近頃よく耳にする。日本はそれをカバーするために施行規則や通達に基づく行政指導によりカバーしている部分も多い。
 また元々官業であったものは性善説が亡霊のように生きている場合もある。法律は官が過ちを犯すことを前提に作られているため、民間に開放されても性善説が生き続けている場合も多い。そもそも官が過ちを犯すはずがないという前提自体が無理があり、官の誤り自体が過去に何度も起きてる。
 性悪説に拠る立法を行うのがいいのか?これも難しい議論である。自主規制や倫理感を向上させ、最小限の立法に留めるべきだという議論もある。逆に倫理感を求める社会こそ、息苦しい社会であり、法律を明記した方がいいという議論もある。
 新自由主義がなぜか息苦しい、という不思議な現象にどこか通ずる問題かも知れない。