女系天皇容認問題と日本の伝統
新聞見出しにには「相次ぐ慎重論」という文字が躍っているが、決して反対論が拡がっている訳ではない。政局化を避けたいが故の慎重論や、小泉総理の功名心見え見えの拙速さへの反発*1であって、女系天皇反対の考え、ましてや旧宮家の復活などが容認される雰囲気が拡がっている訳ではないのである。
伝統が金科玉条でなかった事実。
物事の正しさを証明する方法として「伝統」という概念を持ち出すことがよくある。非常に有効な手段であるのではあるが、必ずしも金科玉条ではない。今回の一件でも、「伝統」という価値観の限界を認めざるを得ないのではないか。
靖国問題の差異
最近、日本の保守派が成功した事例として靖国問題が挙げられる*2。首相の靖国神社の公式参拝に関して、短期間で大幅に支持者を増やすことに成功した。しかしこれは「伝統」という概念が支持されたのではなく、外圧への嫌悪感を上手く利用できたことと、小泉首相自身への支持の高さ故である。
また保守層の中でも、ネット右翼等に代表される保守的な若者たちの傾向として、「伝統」へのコミットの低さが挙げられる。古くからの保守層が「伝統」という価値観の基盤の上に存在しているのに対し、若い保守層は「強さへの憧れ」が基盤になっており、諸外国*3に強く主張することに反応し、日本の伝統に対する理解は決して高くない。
彼らが外交とは関係ない国内問題である皇室典範改正問題に靖国問題ほど反応していないという傾向も見られる。