「おたく」とは何か?
実はこの言葉の定義が未だにわからない。現代用語の基礎知識なぞは表層的現象の言及ばかりで言葉の定義をしなし、はてなキーワードの説明文もしっくり来ない。
ちなみにはてなキーワードでは
各論併記では本質が見えてこない。各論の範疇の違いに言及するともう少し正体が見えてくるのだが。書き換えたいのは山々なのだが、その前のもう少し考えてみたい。
2の意味は語源で、いまでもこの説明が使用されることが多いが、アニメ・漫画・ゲーム・アイドルの共通点に言及しないと意味がない。それにこの定義は「おたく」の対象が拡大された現在においてもはや使用に耐えない定義と言わざるを得ない。
3の意味は野村総研や日経MJやテレビ東京のWBSがよく使用する定義だが、違和感を覚える人は多いと思う。でもその違和感こそが、「おたく」とは何かの最大のヒントである。
4は狭義すぎて使用に耐えない。使用する場合は「ヲタク」と表記すべきなので割愛。
5もこれは重要なヒントである。
定義は歴史的に、除去法で
定義付けする際には、現在的な使用法をいきなり考察するのでなく、歴史的に考察したい。
またアニメ、マンガ、ゲームと言ったように対象を積み上げるにではなく、何がオタクではないのかという控除法を用いたい。
80年代の中高生男子文化においては媚態の有無が要素であった。
この時代中森明夫が観察した2人称として「おたく」と使用している人たちの主体は10台後半であり、はてなキーワードの2番の説明のような20代以上が主体ではなかった。80年代がちょうど中高生であった時期と私にとっては宮台真司*1の「限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学」での言及がしっくり来る。
「ヨット」「ナンパ」方面と、「OUT」「ロリコン」方面のあいだに、いつのみには太い境界線が引かれていたわかです・すべてがベタになったせいで、前者が優位で後者が劣位だというような「階級意識」が生まれた。
もっとわかりやすく言えば「モテ」か「非モテ」か異性への媚態の有無が重要な要素なのである。男子の趣味のうち、異性への媚態が目的の趣味は「おたく」ではなかったのである。それを趣味にすることによって女子が「引く」、アニメ、マンガ、アイドル等は特に「おたく」と呼ばれたが、引きはしないがモテもしない趣味、例えば「軍事」「鉄道」「パソコン」等の趣味も当時から「おたく」の範疇であった。
はてなキーワードの5の意味もこれに関係する。ファッションへの興味の有無は異性への媚態と密接に関係するからである。「非モテ」趣味を持つ人がファッションに関心を払わない可能性は高い。
言葉の使用範囲の拡大と「おたく」の再定義
90年代になると「おたく」という言葉が拡大使用され、女性や大人に対しても使用されるようになり、少しニュアンスに変化が生じてきた。女性に対する男性の媚態と、女性の男性に対する媚態は異なるし、また中高生と大人ではまた大きく異なるからである。
男性の世界には、異性への媚態に否定的なイメージがないのに対し、女性の世界には異性への媚態が「いやらしい」「格好悪い」という考えもある。異性への媚態を前提としない行為が男子中高生と違って必ずしもヒエラルキーで下位に位置づけられない傾向がある。
また男子中高生の恋愛対象である女子中高生と大人の女性とでは思考が異なり、男性の媚態の方法も変わってくる。女子中高生が基本的には表層的で男性的な強さを評価するのに対し、大人の女性は内面的なものをより評価するようになる。格好付けたりみえを張る男を次第に格好悪いと思うようになり、等身大の男性を評価できるようになってくる。
その中で「モテ」や「非モテ」の境界は曖昧になり、中には逆転することもある。例えば中高生の間はマリンスポーツ或いはクルマ*2やバイクというのは「モテ」であったのだが、20台後半になり結婚を前提に異性に見られるようになると、収入の裏づけなしにこのような趣味を持つことは「モテ」ではなくなってくる。女性は月3万円のお小遣いで我慢し、あとの給料は家に入れる男性を求めているのである。
結局「媚態」を基準に「おたく」であるか否かを判断することが無意味になり、100%の女性が容認できない「ロリコン」のような趣味だけを残す狭義の「オタク」か、殆どの趣味領域を「オタク」に含める野村総研のような拡大解釈という極端な現象が生じるのである。
大人の世界に元々存在していた趣味はどう評価するか?
また大人の世界に本来的に存在していた趣味はとりあえず「おたく」の範疇外にして置いた方がいい。元々存在していた世界に、80年代に生まれた定義を被せるべきでないからである。元々、大人の世界の趣味は上流階級のみに許されててきたものであり、ステイタスシンボルでもある。趣味を持つことは、勃興階級が旧来からの上流階級への媚態の性格があり、「おたく」の精神とは相反するからである。
しかし大人の趣味には、アンティークトイの収集や鉄道模型など、「おたく文化」に表面上類似するものも存在することも見逃せない。それは中高生文化では認められるヒエラルキーが大人の世界では無意味であることにも関係する。
最終的には大人の世界に元来的に存在していた趣味も、ステイタスシンボル性が認められないものは「おたく」の範疇に入れることはもはや否定できないであろう。実際にボトルシップを作るのが趣味の50代の男性がいたとして、この人を「おたく」と呼ぶことに多くの人は違和感はないであろう。
もう一つの排除要素「フォロワー」
もう一つ除外しなければいけないのがフォロワー的趣味である。見得にも似ているが、見得は一般階層が一般階層から自己を差別化であるのに対し、フォロワーは一般的に遅れている層が自己を標準化しようとする行為である。流行に追いつこうという行為がそれである。一部、地方都市の人間が東京の真似をしようという田舎者根性に残ってはいるものの、実は80年代後半にこの精神行動が日本から消えてしまったので、既に問題にしなくてもいいのかも知れない。
これは流行のあり方が80年代までとそれ以降で大きく異なっていることからもわかる。現在の日本で、マスコミがなにがブームだからと言って、全国的・全世代に波及することはほとんどない。これは携帯電話とインターネットの普及によるものが大きい。
かつては狭い世界で共通の話題を確保するために流行をフォローすることが重要であったのだが、携帯電話とインターネットの普及で無理して趣味の合わない人と話を合わせなくても簡単に同じ趣味の人と濃いコミュニケーションをはかることが出来るようになった為である。
フォロワーの衰退というのは、実はおたくの勃興の最大の要因であるかも知れない。