単因論を排す

 ○○問題は××がいけないからだ。△△さえ実行すれば問題は解決する。こういった言動を頻繁に行う人を行う人間や、そういう言動を鵜呑みにする人間は少なくないが、私の経験上こういった人間にロクな人間はいない。
 複雑化した現代において、一つの原因に集約する問題などほとんどなく、あったとしてもそういう問題はとっくに解決できるのに放置されているだけのケースが多い。
 単因論に惹かれる人間は、問題を矮小化して安心地帯に逃げ込み思考停止したい人か、解決法がわかっているのに解決する努力をしないでいつまでも原因は○○だと叫んでいる人、いずれにせよお馬鹿か怠け者である。

愛国心特効薬論

 最近目に付く単因論は愛国心にまつわる言動である。

 赤提灯レベルではこんなくだらない意見を平気な顔をして言う人が少なくない。こういう人間こそ、日本人の誇りが足りないのではないのか?英知の欠片もない言動を糞尿の如く垂れ流す光景は見るに耐えない。
 私は愛国心について考え、それを涵養してゆこうという議論には賛成である。しかし愛国心の涵養がすべての問題の解決になるような言論には眉を顰める。id:opemuさんのエントリーを引用すると

 愛国心教育を導入すれば、何か問題が解決するかの様に言うけれども、id:kaikai00さんの仰るとおり、それらは「因果関係は一切実証されていない」暴論以外の何物でもないし、「教育だけで解決できる問題」ではない。だから、愛国心教育を行ったとしても多分問題は解決しないだろうし、何も変わらないだろうと思う。
 僕が嫌なのは、そこから先の話で、愛国心教育を導入しても結局は何も変わらなかった時に、今まで「愛国心教育は日本を救う」と言っていた人達が、「実は愛国心教育と、青少年の問題は関係がなかったのではないか」と再考したりは全くせず、「問題が解決しないのは、愛国心教育が徹底されていないからだ。更なる愛国心教育を!」と噴き上がるのが、目に見える様だからだ。
http://d.hatena.ne.jp/opemu/20060414/1144947847

 恐らくその通りで、愛国心の欠如は多くの問題の本質的な原因ではなく、問題を愛国心の欠如に擦り付けることによって本質的問題の解決を遅らせるだけである。

なぜ愛国心になるのか?

 愛国心の前に、まず道徳や倫理の再構築の議論が先である。もちろん道徳や倫理でも多くの問題の根本的解決になる訳ではない。しかしこれらの崩壊は社会の根本的基盤を揺るがしかねないので真剣に議論しなければならない。
 キリスト教社会やイスラム社会では、道徳や倫理の再構築に宗教の復興という意見が主流となる。しかし強い影響力を持つ宗教が存在しない日本では、これが愛国心にすり替わる。このすり替えは既に明治時代の富国強兵に利用されたものだ。日本ではキリスト教に匹敵するアイデンティティを構築するために天皇神道儒教などを綯いませにした人工的イデオロギーを創造したのである。宗教の影響力の弱い東アジアでは日本に似た傾向が見られる。
 現在でも道徳や倫理の再構築を考えると、同じ方法が真っ先に浮かぶ。愛国心を強調する人は必ずしも戦前を美化しようと考えている訳ではない*1と思うが、基本的に戦前に考えられた手法を模倣しようと真っ先に思い浮かぶのではないか?私は参考にするのは構わないと思うが、その場合は副作用も理解した上でないと、英知がある行動とは言えない。

*1:堂々と美化したい人も一定数いるが