靖国「行くのは個人の自由」、任期中の参拝示唆…首相

 カナダ訪問中の小泉首相は27日夜(日本時間28日朝)、オタワ市内のホテルで同行記者団と懇談し、自らの靖国神社参拝について「何回行こうが問題にはならない。個人の自由ではないか」と述べ、9月までの首相在任中に参拝することを示唆した。
 自民党総裁選に関しては、9月8日に告示されるとの見通しを示したうえで、「(靖国問題が)争点になるとは思わない。争点にしたい人もいるが、突き詰めれば、「中国の言い分に従いなさい」というのが靖国参拝はいけないと言う人たちだ」と強調した。
(読売新聞) - 6月28日

私はまだ終戦記念日の参拝があるかは不透明で、政治的話題作りに余念がないマスゴミつまみ食いしているだけのような気もするが。
 ただ靖国参拝を最初に争点化したのは首相自身であったのではないか?党内基盤の弱い小泉氏が自民党総裁選を勝ち抜くために使用した切り札であった。しかも靖国カードを使用するのは、歴代総裁の中で党内右派と目されていた者でさえだれも使用しない危険なカードであったはずだ。
 保守政党であれば党内最右派の、革新政党であれば党内最左派の影響力をできるだけ排除するというのが政治のセオリーである。極端な勢力というのは得てして教条主義的で妥協を排すため、為政者にとって足枷になる。例え自身が極端な勢力にシンパシーを感じていても、距離を置くのがセオリーだ。
 足枷をした状態で相撲を取ることを選ぶ政治家がどこにあろうか?フリーハンドで多数の選択肢を用意することがネゴシエーションバリューを増し、国益に適うのである。もちろんフリーハンドなのであるから、場合によっては極端な政策を遂行するのも手段である。
 最近は自分の信念を貫く政治家が拍手喝采を浴びるようだが、自分の信念を通すのだけが仕事なら政治家なんていらない。それは哲学者か宗教家の領域だ。政治家はもっと世俗的な、現実的な問題に向き合わなければ仕事をしたことにならない。
 小泉氏は相変わらず「中国の言い分に従いなさいというのか?」というロジックを多用してる。確かに他人にとやかく言われたくないという人間の心理から、別に靖国神社のことを知らない日本人の多くが、なんとなく靖国参拝賛成に転じてしまったのは事実だ。だからこのロジックを多用すれば、まだまだ靖国参拝支持派は増えるかも知れない。
 私は靖国問題は国内問題だという小泉氏の意見に賛成。だから中国の意向以前の問題で靖国参拝の是非を考えるべき。それでもって結果的に参拝するべきでないと思う。今まで公約と外交の妥協で8/15の参拝を避けてきたのに、退任直前に8/15に参拝するのは何なの?もう意地か開き直りか、恣意的な外交圧力か、政治パフォーマンスか?政治家として叡智ある判断とはもう言えませんな。
 あと小泉総理が「個人の自由」という言葉をよく使うが、靖国神社を信奉している人は「個人主義」や「自由主義」が大嫌いな人が多い。そういう意味で小泉総理は伝統的な右翼とちょっと異質だ。安部ちゃんは伝統右翼に近い人だから、「個人の自由」なんて言葉は使わないだろう。日本人の精神やら魂やら、もっと虫唾が垂れる言葉を多用するに違いない。