敗戦記念日

 小泉首相靖国神社に参拝したようだ。私は国家神道というものが諸悪の根源だと思っている人間なので、その残り香がする靖国神社には好感を持っていない。世論調査では間違いなく首相の参拝に反対と書くであろうが、絶対に行くといって聞かない人間を通せんぼしても今更仕方ないわけで、首相の参拝の是非自体は既に興味の範疇外だ。
 今日は終戦記念日というか敗戦記念日だ。はたして敗戦は日本にとってよかったのであろうか?結果的に民主的な国ができて経済的に繁栄したのだからよかったのではという結果オーライ論みたいのが戦後かなり聞かれたが、私はあまり賛同できない。やはり日本は自らの意思で民主化を為すべきだったと考えている。その為には日米開戦だけは避けるべきだった。念のため言っておくと、日米開戦は避けられたと思う。ただ、日本がどのような軍備を施し、どのような同盟関係を結んでも米国に勝利するシナリオは書けなかったであろうから、どうしたら勝てたかという議論は割愛する。
 日米開戦回避の話となると、日本がハル・ノートを受け入れるというシナリオがまず考えられるが、現実問題としてこの時点では手遅れだったと思われる。当時の日本の政治或いは軍のシステム的弊害として将棋の府の如く前進しかできない構造であった。先人の努力を無にしたくないとの思い*1で領土を手放すといった意思決定ができないのである。結果的に敗戦で日本は日清・日露戦争で獲得した領土もすべて失ったのであるから、この時に領土を手放してでも妥協した方がよかったのであるが、最も高尚にして重要な「撤退」という勇気ある決断を日本の士官教育では軽んじていたは愚か卑下していたのであるから、当時の軍人或いは軍出身の政治指導者にできる訳がなかった。唯一できる可能性があったのは天皇であっただろうが、当時昭和天皇がそのような態度を示したとしたら疎開という名の幽閉をされていたかも知れない。結局、教育或いはシステムの誤りということになる。
 私は南京政府樹立あたりがターニングポイントであったと思う。ここで国民党政権と交渉し日中戦争終結しべきであった。日本が共産党政権と戦う国民党の支持を明確にすれば、アメリカも日本軍の満州からの撤退までは要求しなかった可能性がある。仏印からの撤退に関しては、アメリカも同盟国のフランスの手前主張しただけであり妥協の余地はあった。また三国同盟の締結も大きな誤りである。日本のイメージを低下させただけで何の実利もなかった。
 この場合東アジアの歴史は大きく塗り変っていたであろう。中国大陸は共産党政権が勝利するという歴史が崩れているかも知れない。日米開戦が避けられても満州国には恐らくソ連軍が攻めてきたであろう。日本は米軍の満州駐留を認める代わりに満州国の独立を認めさせる。しかし結果的に満州国とモンゴルを東側に取られるが、これが予防線になって北京以南は国民党政権が樹立。満州には奉天を首都とする人民政府が樹立する。朝鮮半島満州が予防線となり南北分断は免れるが、昭和25年頃から独立運動が激しくなり、独立運動勢力がソ連満州の人民政府の支援を受け赤化独立の危険性を察した日本は先手を打って独立を承認する。
 台湾もアジアの独立運動の影響を受け、結果的に独立か中華民国への復帰を認めることになってたであろう。戦争に勝とうが戦争を避けようが、いずれ植民地は手放さなければならないのが20世紀の歴史の必然である。樺太の南半分だけはまだ日本の領土であったかも知れない。今の時代でも独立して国家を樹立する規模でない少数民族が分散している地域に関しては、民族国家の原則が必ずしも適用されないようであるから。
 この場合旧軍は温存され、日本の民主化も昭和30年代までずれ込んだ可能性もある。それでも戦災を免れた分経済発展は先行して実現し、民主化も現在の日本と変らないレベルまで自力で成し遂げているであろう。大日本帝国憲法も改正され、天皇の政治的機能は限定され、旧軍が温存されても部隊数はかなり削減されシビリアンコントロールの下に置かれ、軍事費も現在とさほど変らない程度に抑えられていると考えている。かなり楽観的かも知れないが、「日本人は自ら民主主義を構築できる」ということを信じたい。自ら築りあげた民主主義であれば、日本国憲法戦後民主主義みたいに粗末な扱いを受けたりされないはずである。

*1:この考えは一見先人を尊ぶような態度で立派に見えるが、軍事的にも経営学的にも自滅を招く思考であることが知られている。