外圧と国内世論の歴史

 靖国参拝の是非が中韓の圧力への嫌悪の問題にすり変わってしまっている。これは靖国支持勢力が世論の空気を最大限に利用した世論誘導の勝利であり、私は靖国参拝反対派であるが敗北を認めざるを得ない。しかし、日本が戦争責任論まで外圧嫌悪感情を利用して曖昧にしようとする工作には徹底して抗しなければならない。ある年に首相が靖国神社に参拝するしないで日本の国がどうなる話ではないが、日本自身が過去の戦争の総括を曖昧にするのは、未来の為によくないことである。
 その話は長くなるので、今日は外圧と国内世論の関係を考えてみたい。実は90年代前半まで、日本の世論は外圧に反発することは少なく、むしろ自派の運動を強固にするために左右両陣営とも外圧を積極的に利用してきた歴史がある。左派陣営は中曽根政権下での教科書問題では、中国や韓国の反発を大々的に取り上げ、この時は左派だけでなく保守政界や財界からも「中曽根やり過ぎ」だという意見が強かった。中曽根首相の靖国参拝、藤尾文部大臣や奥野国土庁長官らの発言の時も、マスコミは中国や韓国での反発を大々的に取り上げ、世論は日本の政治家に批判的であった。
 この時代にインターネットがあったら違っていただろうと思う人も多いだろうが、この頃は日本が国力的にも中国・韓国を圧倒しており、まあ経済大国の日本が発展途上国を刺激するのは大人げないのでは?という余裕に近い空気があったと思う。
 保守側もよく外圧を利用していた。特に農業問題で農村票を失いたくない自民党は、アメリカに悪役をやってもらって、アメリカの圧力の凄まじさを演出した。農家や農業団体は従権傾向が強いので「先生方もいろいろ大変だね」と理解をしめし、大きな反対運動がないまま牛肉やオレンジの輸入が開始された*1
 アメリカとの関係では、日本の貿易黒字が問題となり、全米自動車労組員がハンマーで日本車を破壊するショッキングな映像が日本でも繰り返し放映された。日本のマスコミは少し反米世論が沸騰するのを期待していたのかも知れないが、日本の世論は到って冷静であった。むしろかつて日本が憧れていたアメリカ国民が日本ごときに必死になっているのである。むしろその光景は滑稽で、日本がアメリカに追いついたような満足感を感じた国民が多かった。
 外圧嫌悪の風潮が強くなったのはいつ頃であろうか、外圧嫌悪を積極的利は意外にも2001年の大橋巨泉の「ショー・ザ・フラッグ」質問のような気がする。もちろん以前から社会党共産党議員による対米追従批判はあったが、もとよりイデオロギー的で党派内でしか響かない、世論喚起には当たらない言論であった。この頃は保守側にも反米勢力が萌芽している頃であり、より広い反米世論を喚起するためのアジテーションであった。
 保守側の外圧嫌悪感情の利用は、反韓、反中世論が勃興する中でも意外と少なかった。一部の最保守派議員が保守的な団体の集会などで発言する際のリップサービスは見られたが、選挙では外交は票にならないとの定説が根強く、最保守派議員も右派性を隠して、生活密着のマイルドな公約を掲げて選挙を戦うことが多いのである。そういう意味では、本格的に外圧嫌悪感情を政治に持ち出したのは小泉首相なのかも知れない。それも人気末期の出来事だ。
 マスコミは今回の首相の靖国参拝の各国の動きを冷静に報道するようになったが、昨年の反日デモの際はマスコミはセンセーショナルな報道を行い、まるで中国全域で反日暴動で多くの人が参加しているかの拡大した印象を与えた。日本の国内世論の空気が読めず、外国の反日運動を報道すれば日本国内のナショナリズムを喚起するという予見ができなかったマスコミは余りもお粗末である*2
 しかしよく考えると、今の日中関係は、かつての日米関係に近似しているのかも知れない。中国国民は意外とかつてアジア唯一の経済大国であった日本が中国ごときに必死になっているのを満足気に見ているのかも知れない。ようやく中国が日本に肩を並べる日が来たのかと。必死になっている人はどう見られているかも考えて、恥ずかしくない範囲で必死になっていただきたい。

*1:アメリカは自民党の農村重視の政策に対し都市市民の潜在的不満が強いことを察知し、日本の世論をうまく利用した強かな通商外交を展開したことも付け加えておく

*2:一部マスコミには日本のナショナリズムを煽りたい意図があったのかも知れないが