「格差拡大」を副作用と捉える人と、「格差拡大」を望んでいる人がいる*1。

 「新自由主義」を消極的に評価する人は、よく「格差拡大」を副作用として語る。90年代のバブル崩壊後の日本は「新自由主義」という劇薬を飲むしか立ち直る道がなかった。今ようやく日本の経済は立ち直り、今度は劇薬の副作用を治療することに目を向ける必要があるといった言論だ。元来ケインジアンだった人間が、自説に行き詰まり限定的に「新自由主義」を容認していた人がよく言う台詞であるが、これはサッチャー批判が引き荒れた時代のイギリスでは、守勢に立たされた新自由主義者の弁解としてもよく使われた。
 しかし新自由主義者を積極的に評価している人は、批判があろうがぶれずに格差是正のための政府の介入を嫌い、むしろ格差は人間の向上心の源泉として積極的に評価する。今の日本でも、「格差是正」などといったキーワードには目もくれず、現状を肯定する層が一定数いる。また反小泉キャンペーンにマスコミが利用しているだけと、格差問題を矮小化しようという言論も散見される。
8/30付の中小企業経営者を対象とした日刊工業新聞のアンケートでは、「格差社会を肯定する」という答えが31%もあった。もちろんこれは中小企業の現実的な声として考えるべきで、経営者が理念的な新自由主義者という訳ではないと思う。中小企業はもっとも厳しい競争に晒され、とにかく「安くて使える労働力」が必要なのである。労働相場が低位安定していてくれないと、どうにも立ち行かないのである。
 しかしこれはミクロな視点である。マクロな視点で見れば低賃金労働者が増加し、中間所得層が薄くなれば、国民購買が減退し、内需に暗雲が垂れる。また「格差拡大」が人間の向上心の源泉になるというのはどうも机上の空論のようで、格差が拡大すると下流に落ちた人間は這い上がる意志を失い、却って努力しなくなるというのが結論のようだ。
経営マインドの人が新自由主義的政策にブレーキが掛かることを危惧し、消費者マインドの人が新自由主義政策を緩和し格差是正を望んでいるという単純な構図でもなくなっている。経営マインドに立っても、足元はとにかく低賃金雇用を担保すべしということになるが、一歩先を見れば国民所得の担保がなければ企業業績の回復も担保できないという構造が見えてくる。いずれにせよ、ある程度「格差縮小」という方向に世論が収斂してゆくのは必然である。

低賃金労働者を大量に必要とする社会構造はどうなるか

 ただ「低賃金労働者を大量に必要とする社会構造」が固定化してしまった事実だけは直視する必要がある。様々な施策を講じて、非正規雇用労働者を減らすことは必要だし、可能ではあるが、対賃金労働者の雇用を前提に成り立っていたビジネスモデルが立ち行かなくなる可能性が高い。私は正直言ってそういうビジネスは少し淘汰された方がいいと思っているのではあるが、経営者も必死だから、何とかビジネスの存続を考えるであろう。最も可能性が高いのは、欧米先進国で多く見られる外国人労働者の活用であろう。これは非常に重い政治テーマになるであろうが、本来ならばここまで見越して格差社会については論じなければならないのであろう。