「小さな政府」という言葉の誤認

「小さな政府」という言葉は、新自由主義というイデオロギーを具現する代表的な言葉である。
しかし日本においては、このイデオロギーが支持されたというより、「税金の無駄遣い止めよう」的な世論に新自由主義者が竿を差すための詭弁であった。多くの国民は、歳出削減を優先し、税率のアップを回避してくれることを願っていただけである。別に所得の再配分機能の抑制や、社会保障の削減を期待していたのは、ほんの一握りの生粋の新自由主義者だけであろう。
 また良識的な国民は、「痛みを伴う改革が必要」的な言葉を純粋に信じ耐えた。しかし歳出削減が必要なのは確かであったが、最高税率を下げ、課税最低限を上げる*1ことが本当に避けられない政策であったのか甚だ疑問である。
 低所得者に厳しい政策というのは、英国病に毒された1970年代の英国では必要だったかも知れない。階級意識の呪縛から人々が政府に依存し、労働意欲が減退し停滞している状況では鞭を打つことが必要だったかも知れない。はたして80年代の日本はそうだったのか?社会福祉に甘え、労働意欲をなくしていたのか?
 はっきり言って今の方がこの時代より国民の向上心が減退し、労働意欲も低下していると思われる。日本の現状を立ち止まって見ないまま、政治家や官僚が思考停止状態で新自由主義という外来思想に飛びついた結果である。
 しかし、多くの国民は、いまだに「小さな政府」がなぜ「格差拡大」につながるのか理解していない。「格差批判」なんて、どうせ小泉首相や安倍官房長官の足を引っ張りたいマスコミや野党や抵抗勢力の詭弁に決まっている、と考えている低所得者も少なくない。新自由主義を見ずに「小さな政府」という甘いスローガンに酔っているからである。

《メモ》

小さな政府が格差拡大につながる理由

 →失業者の排出。就職しても低賃金労働者。

  • 税の再配分機能の低下により、高所得者には減税、低所得者増税となる。
  • 民営化の推進により、労働条件の良い公営企業が減り、労働条件の悪い民間の求職が増える。

  もちろん「小さな政府」という理念は、新自由主義から独立した状態でも存在し得るし、その状態では決して悪い理念でない。「小さな政府」という言葉にはスティグマを付けずに、今後の日本の道標の一つとして残しておきたい。

*1:これは小泉政権以前のことだが……