皇室問題を政治化するのは避けるべきである。

 おめでたいお話に水を差すように、非常に政治的な皇室議論が散見されるようになった。
皇位継承者が極端に少ないという現実問題から、皇室典範改正議論は今後も避けて通れないが、拙速は避けるべきだし、ましてやこれを政治的に利用するのは持って他だ。
 その意味で保守派論客の一部はでしゃばり過ぎの感じは否めない。確かに小泉首相有識者会議を利用した皇室典範改正議論はなぜ急ぐのかよくわからず、功名心みえみえだったので、焦って政治的にならざるを得なかったのはわかるが、今は落ち着くときではないか?さあいいいよ旧皇族復活運動の狼煙を上げる時だ!と気勢を上げる時期ではないと思う。そんな態度を続ければ、結局保守系政治団体が自らの求心力を高めるための政治目標を欲しるという穿った見方をされても仕方あるまい。ちょうど東京裁判史観否定や憲法改正問題などで反GHQの流れができているところで、保守運動の中で今こそ反GHQの流れでGHQにより臣籍降下させられた旧皇族を皇族に復帰させる世論を盛り上げようという魂胆も透けて見える。
 それに最近の保守運動はお行儀が悪く、最初から自分の意見と異なる意見を持つ人に「敵」のレッテルを貼り、最初から問答無用で攻撃を始めるのである。実際に「女系天皇推進」の運動母体など存在しない訳で、女系天皇を容認する意見の多くは「旧皇族男子より愛子様に親しみを感じる」という率直な国民感情を露呈しているに過ぎず、まったく政治的ではないのである。
 フェミニスト団体で女系天皇を容認すべしと主張しているところもあるが、元々皇室に対しては無関心か消極的容認程度の認識の場合が多く、女系天皇推進運動を積極的にやる可能性はないし、その資格もないであろう。
 もういい加減、敵などいないことを認めて、おとなしくゆっくりと議論するテーブルに着くべき、内親王家創設議論も旧宮家復活議論も感情的な反発を避けて真摯な態度で検証すべきである。