結局、世論は子供が犠牲になる事件はすべて重く罰して欲しいということ

埼玉の園児死傷事故、運転者に危険運転致死罪適用されず

川口の園児ら死傷事故 「危険運転」での起訴断念 遺族ら「納得できぬ」

結論から言うと、世論は子供が犠牲になる事件はすべて重く罰して欲しいのである。危険運転致死傷罪は1999年に東名高速道路で起きた、泥酔した大型トラックが子ども2人を焼死させるなど7人を死傷させた事故が契機に立法化されたものであるが、犠牲者が子どもでなければここまで世論は盛り上がらなかったであろう。
 世論が求めていたのは、飲酒などの危険運転を減らしたいというのが主眼ではなく、子どもを殺したやつを重く罰して欲しいだけなのだ。今回の検察の判断に関して、報道ステーション古舘伊知郎は「法律はつくづく不備だ」と言っていたが、ちょっと的外れなコメントである。世論を満足させたいだけならば、刑法に幼い子どもが犠牲になった場合の重罰規定を作ればいいのである。しかし被害者の属性によって罪の軽重が左右される立法というのは違憲となる可能性が高い。許される立法の中で何とか世論の求めに呼応しようと考え出されたのが、危険運転を罰する法律である。この法律はあくまでも危険運転を取り締まるものであって、幼い子どもを殺した人を重く罰するものでないから、今回の検察の判断は止むを得ない判断だ。
 もちろん遺族はいたたまれないであろうが、今回のケースでまた加害者を重く罰する立法を試みるのも、なかなか難しいものがある。これ以上踏み込むとなると、もはや憲法を改正して、被害者の属性によって罪の軽重が左右できるようにするしかない。
 私個人としては、いくら子どもが大事でかわいいとは言え、被害者の属性によって罪の軽重が左右されるのは、その属性の尊卑など生々しい主観を露呈する姿を想像すると賛成しかねる。