大人の世界と子供の世界

 子供と大人の最も大きな差異は、大人になると多くの場合は「個」が確立しているため、誰を好きになるか嫌いになるか、嫌いな人にかかわろうが避けようが自由なのである。しかし子供は「個」が未発達なために、自分の好きな人は他の人も好きになるべきだ或いは自分が嫌いな人は他の人も嫌いになるべきだという同調圧力を露呈することがよくある。もちろん大人の中にもこのような人はいる(私の友人にも)のだが、一般的に子供っぽい人間として処理されている。
 大人にだって嫌いな人はいるし、嫌われ者がいる。ただ大人の世界では嫌いな人とはできるだけ接触しないというのがセオリーで、そいつをいじめるということには余りならない。接触しないというのは「無視」にも似ているが、広い世界に住んでいたら、この行為はそれ程ネガティブなものとは考えられない。子供の世界では、40人学級の中でほとんど口を聞かない子がいるというのは異常と処理されてしまうのとは大違いである。
 大人の世界でも、仕事の関係等で嫌いな人と比較的高頻度に接触を持たなければならないことも多々ある。その中で人の悪口も多々飛び交うが、大人の世界では「陰口」といって本人の耳の入らないところで叩くので余り問題にならないし、大人の世界では「人の悪口はよくない」というようなきれい事を言う人はもはやいない。
 教育者は顔をしかめるかも知れないが、「子供を早く大人の世界に引き上げる」というのも「いじめ」をなくす手段かも知れない。「みんな友達」みたいな痒い道徳スローガンは早く取り下げて、「嫌いなやつは嫌いでいい。無理にかかわらない。」「人の悪口はバレないように言え」と教えてあげればよい。そして子供に早い時期から携帯電話やPCを与え、子供オンリーのSNS等を構築して、学校という枠に捕らわれない友達作りをサポートするとか、大人に近いコミュニケーション環境を与えてあげればどうか。
 結局、いじめというのは狭い空間にいるから起こるのである。大人が狭い空間から開放されている今の日本では、子供に狭い空間という厳しいコミュニケーション環境で訓練を受けさせる必要性は絶対ではないのではないか。