いじめは克服しなければならないものなのか

 一昔前だったら、子供は辛くても、いじめに立ち向かい克服させるべきだという考えを私も述べたであろう。学校内で監視や指導を強めていじめを物理的に排除しても、いじめられっ子がいじめられる原因を取り除くことができなければまた別の場所でいじめられるだけだし、大人の世界にも存在するいじめを克服できないからである。しかし、現実の世界を考えるとどうであろうか?
 昔は大人も子供と同様に狭い世界に住んでいた。一生涯一つの会社に奉職し、地域の狭いコミュニティーの中で生きてゆくためには、人間は協調性の高い迎合マシーンにならなければならなかった。その意味で、子供の頃から周囲に溶け込み、うまくやる人間として教育することが重要であり、いじめられているという現象は、子供が周りとうまく行っていない象徴であり、それは大人になるために自力で克服しなければならないという考えがあった。
 しかし今はどうだろう。大人の世界は極めて多元化し、職場は人間関係のもはや中心でなく、アフターファイブや休日まで職場の人間と過ごす人は減っている。地域の人間関係は希薄となりってる。やはり交通・通信の発達の影響が大きいだろう。大人はより広い選択肢の中から、自分の好む人間関係を選択できるようになったのである。
 ただ子供だけは相変わらず学校という狭い世界に閉じ込められているのである。ただ、今の時代は人間を迎合マシーンに教育する必要はなくなっている。大人になれば、無理に嫌いな人間と過ごす必要性は下がるのであるから。
 もちろん、いろんな人間とうまくできる方がいいに決まっている。いじめを自力で克服する可能性がある子には、その機会を与えてあげるのもいい。しかし、今はそれに固執しなくてもいいのではないか?多少コミュニケーションがうまくいかなくても、大人の世界はなんとかやっているものである。