個人主義批判

 個人主義批判言説がここ最近よく聞こえるようになった。面白いことに右派は個人主義サヨクだと言い批判し、これからは共同体主義だと言い、左派は個人主義新自由主義の所産だと批判しこれからは共同体主義だと言う。
 結局日本の古い右派も左派も実は共同体主義、悪く言えば全体主義であって、個人主義は70年以降のアメリカのラディカルカルチャーの影響を受けた穏健左派と80年代以降に入った新自由主義によってもたらされたものである。個人主義を右か左といった二分律で説明するのは不可能である。
 また戦後民主主義個人主義だと言い張る人は、かなりの事実誤認で、日本の戦後は典型的な企業一家的な共同体主義である。ワタミフーズの渡辺美樹氏などがあまりにも堂々と戦後民主主義個人主義だとか拝金主義だとか誤った事を言うのは閉口である。
 日下公人がベタな右からの個人主義批判をしているのを見つけたので、ちょっといじってみたい。

個人主義が生んだ少子化の弊害

 理科系はともかく、法学部や経済学部など文系の学問は、根本が個人主義なのだ。それには、教えている側も気づいていない。例えば法律では、少年が悪いことをしたら、少年を罰する。
 しかし、古くからの日本の常識では、「親が悪い、親子ともども罰しろ」とか、あるいは「我が子は許してくれ、親の私が代わりに牢屋に入る」とか、少なくとも江戸時代はそうだった。親に監督責任があるなら親も罰する。けれども今の日本の刑法はそうではなくて、やった個人を罰することになっている。個人を罰するとなると、「子どもに責任能力はないから」と考えて、結局は無罪になってしまう。
 人間は一人では生きていられないわけで、だからこそ昔は連帯責任があった。親子連帯、親族連帯、あるいは地域ぐるみ、5人組という制度もあった。「お前が変なことをすると、こっちまで罰せられる」ため、相互監視による予防効果があったのだ。こういう制度は実は世界中いまでも至るところにある。
 

赤提灯談義で出てもおかしくない議論だが、アカデミーの人としてはかなり思い切ったホンネトークだ。こういうホンネを持っている人は結構多いのだが、誰とて日本の刑法や民法を変えるべきだと言わず、赤提灯議論で終わってしまう。保守派の法学の大家で、誰か連帯責任や相互監視を是とする法体系でも作って議論を挑んでもよかろうに、誰もやろうとしない。
 もっともこのような世界になって、親が罰せられるようになってしまえば、リスク回避でより一層少子化が進んでしまうだろう。何しろ最近は「いわゆるいい子」が人を殺めてしまう。子どものしつけを放棄しても、厳しくしつけてた場合でも子どもが人を殺めるケースがあるのであるから。