高給単純労働者が存在することは是か非か?

 大阪市環境局の職員約3700人のうち約200人が、大学や短大を卒業しているのに「高校卒業」などと偽り、採用されていたとは驚きである。高卒限定という基準は高卒者の公務員採用チャンスを担保する意味らしいが、元々は学生運動家のオルグを排除するのが目的だったようである。それは兎も角、日本は人材の需給のミスマッチによって国富を失っているという事実である。
 日本は世界で最もブルーカラーとホワイトカラー或いは高卒と大卒の賃金格差の小さい国であり、そのことについて私は過去に何度も「それは素晴らしいことである」と絶賛し続けてきた。今もそれが素晴らしいであるという確信は揺るがない。しかし大学を卒業してもロクま就職先がなく、大学を卒業した者が単純労働に従事することによる国益は無視できない。
 「高給現業公務員」が存在するから、このような国益にマイナスが生ずるという仮定もできる。しかし、高給現業公務員の存在が日本の労働ダンピングの歯止めになってきた面が否めない。例えば公営交通の賃金水準が民間のバス会社更には交通の労働市場に存在するタクシーやトラック運転士の賃金ダンピングの歯止めにもなっているのである。近年では公営交通の多くが廃業→民間委託・移管されているが、労働市場から公的部門が離脱した地域は労働ダンピングが起こっている。
 むしろ高等教育を受けた人間が増えても、その人材を生かす産業が十分に育っていないことの方が問題である。そして少なくとも現業公務員より高い給与を保障できる付加価値の高い産業が日本で育たなければ日本の発展はない。卵が先か鶏が先かの議論になるが、いくら教育、教育といって人材供給サイトの質を向上させても、需要サイトの質もパラレルに向上させないと、質の高い人材が単純労働に従事し、そのことによる国富の逸失という現象が起こるのである。