年金問題の議論もそろそろ第2ラウンド

自民党もいつまでも「消えた年金」問題で責任問題と対応策に追われては首を絞められるだけである。最近では「そんなことより日本の年金制度をどうするか、きちんと議論しましょう。」という自民党議員の声を聞くようになった。「年金を政争の具にしている」と野党を牽制したいのか、とにかく現実逃避したいのか必死である。
しかし、自民党を本格的な年金の議論のテーブルに引きずり出すことが民主党の狙いではなかっただろうか。今は国民の関心を年金に向ける時期だと「消えた年金」の追求に注力しているが、本丸は「税方式」という民主党の政策をアピールすることにであろう。自民党は年金の徴収方法を変えるだけで、現在の修正賦課方式を抜本的には変えたくない。年金が議論されることによって、抜本的な制度改革の必要性を訴えるような議論が盛んになるのは本来避けたいところであった。しかし、社保庁改革関連法案を成立させたとは言え、国民世論は喚起され、参院選が近く野党が年金問題の争点化でイニシアティブを取っている現状では、自民党は既に逃げ場を失っていると言える。
今週末から、参院選告示までの間に、議論は「消えた年金」の問題から、年金制度そのものの議論へ移るであろう。ただ内容が難しいので「消えた年金」の話題のようにマスコミでは扱い辛く、「サンプロ」のような政治討論番組はいいとしても、ワイドショー等では「消えた年金」問題が食傷気味になれば年金の話はお終いになってしまうかも知れない。民主党は難しい年金問題を「消えた年金」問題を触媒にすることで、解りやすく単純なテレビサイズの議論にしようと企てているのではないか。
年金を税方式にすれば、徴収率も上がり記載漏れみたいなミスの心配もない。税金方式にすれば徴収業務が大幅に軽減され、行政コストが大幅に下がる。「消えた年金」問題でうんざりしている有権者に、民主党が長年訴えてきた「税方式」がシンプルに受け入れられるのも不思議ではない。民主党郵政選挙で大敗を喫し、選挙では結局「わかりやすい政治」を求める有権者のレベルに合わせなければ勝てないことを学んでいる。自民党は国民が税方式支持に向かうのを阻止したいところだが、現状では「消えた年金」問題の火消しに追われそれどころではない。

自民党が税方式を拒む理由

公的年金には積立方式、賦課方式、税方式がありそれぞれ一長一短がある。日本の年金制度は積立方式で始まったが、次第に賦課方式の要素が濃くなり、その折衷的性格から修正積立方式と呼ばれている。基本は積立方式なので、国民が支払った年金額に対して応分の年金を受給するという自己責任、個人主義の色彩の強いものである。この制度では「自分がいくら年金を払ってきたか」という実績が重要であり、その為に現在のような問題が起きている。
ただ現在の制度では賦課方式の要素が多く入り込んでいるため、年金は「現役世代が老齢世代を支えるもの」という認識が拡がっている。実際には両方の要素が交じり合ったものである。
一方民主党等が主張している税方式は、社会保障の色彩の強いもので、負担と受給が紐付きでない。受給できる金額は、現役時代の納税額とは無関係で、逆に高所得高齢者は年金を受給できないケースもある。税金と同様に取得再分配機能を有すものである。
自民党が税方式を拒む理由は二つある。一つはイデオロギー的な問題で、保守政党としては自己責任を明確にする政策が是であり、努力した人*1が税の払い損になり、努力しない人*2が税金も納めないのに年金だけ受給できるのは非合理で、社会の活力を奪うと考えているからである。
もう一つは、今の制度は積立方式の要素が残っているため、数年分の年金積立金が運用されている。この運用は信託銀行に信託されているのであるが、この資金を失くしたくないのである。郵政民営化のケースと同じく、この資金を外資に開放したいという思惑があるという穿った見方もある。
ただ保守派の有識者がみな税方式を批判している訳ではなく、比較的逆進的性格のある間接税を財源とするのであれば、欠点以上に行政コストが削減できるメリットの魅力を考えれば税方式でも構わないという意見もある。間接税であれば所得のない人でも納税しており、ただで年金を受給するということはなくなる。税方式を採用している国はアイスランド、オーストラリア、カナダ、デンマークニュージーランドノルウェーフィンランドなど福祉国家と呼ばれている国が多く含まれているのだが、いずれも間接税を主たる財源としている。
財源を明確にしていない民主党の税方式には批判が多い。恐らく消費税を財源とすると明記すると、自民党に「北欧のように消費税が30%になってもいいのか?」というネガティブキャンペーンを張られるのを忌避しているのであろう。自民党も「税方式はよくない」ということを国民にわかりやすく説明するのは至難の業で、自己責任論的な保守イデオロギーを前面に出して国民受けするとは到底思えない。

細川政権時代の悪夢

日本で年金制度の抜本的改革の議論はなかった訳ではない。最初に政治的課題に挙がったのは細川政権時代の「国民福祉税構想」だろう。消費税を国民福祉税と解消し、目的税化する構想であった。ただこの時は目的税の一部を基礎年金の国庫負担分として充当する程度の話で、既存の年金制度改革まで踏み込んでいなかったために、実現しても積立方式・賦課方式・税方式の三種混合の制度ができていただけだろうと思われる。当時は福祉の美名の下、増税の口実を与えているだけではと評判が悪く、審議もされぬまま、細川政権崩壊の元凶になってしまった。
細川総理の裏には小沢一郎がいて、当時は小沢一郎こそ新自由主義の権化とされていた。新自由主義者は金持ちに減税、貧乏人には増税をする勢力として、当時連立与党であった社会党のアレルギーが強く、間接税は新自由主義的税制の最たるものとして拒絶されたのである。
当時の社会党には、税方式年金がもっとも所得再分配機能があり、党の方針に合致していると考えるしたたかさはなかったのであろう。
その小沢一郎が今出している年金改革は、財源が示されず、もしかしたら直接税を財源として税方式を採用するのは?として所得再分配機能が強すぎるトゥーマッチリベラルと有識者に懸念されているのは何とも皮肉である。小泉政権誕生後、当時もっとも新自由主義色の濃かった自由党の存在意義がなくなったと店を畳み、ホンネは新自由主義の議員を多く抱えたまま民主党と合併し新自由主義に疑問を持つ有権者に多く支持される現状が生んだ、何とも皮肉な結果である。

年金問題第二幕の見どころ

とにかく、間もなく始まるであろう年金問題第二幕の
現状の自民党案の社会保険庁を非公務員にして徴収方法を改革するだけの法案で満足している国民は少数だ。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/55435/
これで「年金問題は終り」と考えていたら厳しい。今の制度で100年安心という説明では多くの有権者を納得させることはできず、ビジョンを求められるであろう。参院選までに何かビジョンを示せるかが鍵だ。
もちろん、これから話題にされる機会が増えると思われる民主党の税方式の改革案も、各論部分でかなり有識者から突っ込まれるであろうから、目論み通り国民の支持を受けるとも考えにくい。恐らく財源の問題は集中的に突っこまれ、田原総一朗には消費税を上げるのか上げないのか二者択一の答えを求められるであろう。YesでもNoでも特定の勢力から反発を受けるだろうが、それでもなお支持される状況でなければ、年金問題民主党に追い風は吹かないであろう。

*1:高所得者が本当に努力したどうか日本の場合はかなり怪しいが…

*2:低所得者が努力を怠っている人と言い切るのは乱暴過ぎるが…