弱者による監視・厳罰願望

 現代の日本では、監視カメラの設置を所望する世論、犯罪者に厳罰を求める世論が絶えない。市民が国家による監視や刑罰を積極化するよう求めているのである。

 一義的にはこのような世論に嫌悪感を隠せない私であるが、わからなくもない。私も小学校4年生の頃にイジメに遭ったことがある。イジメグループのは実行部隊と監視部隊がいて、休み時間に私などイジメられっ子に昨日見たプロレス技をかけたりして遊ぶ間、監視部隊が先生が教室に来るのを見張っている。監視部隊が走ってきた瞬間にその遊びがピタッと終わるのである。私は教室に監視カメラがあって、教室に児童が自由に何をやっていてもわからない状態になればと何度と考えたことか。またいじめっ子がたまたま先生に見つかり、厳しい体罰を受けて時は実に爽快であった。
 私は教師を信用するたちだったので、強くて健全な権力(=教師)による強くて健全な統治を望んだのである。
 弱者は、常に強くて健全な権力を所望するものである。保守的な女性或い現実的な女性にとっては、それは配偶者の男性に望むものであり、戦後の日本人にとってアメリカこそ強くて健全な権力であった。そして強くて健全な権力を信じる人=保守であり、それを信じない人々=サヨクという傾向も見て取れる。
 これで弱者がなぜ保守的な権力を支持するかも理解できる。