ナショナルアイデンティティとローカルアイデンティティの衝突

 私は胸を張るほどはないが、愛国心は必要だと思うし、そのような考えは理解する。もしナショナリスト愛国心より金儲けを重視するようなホリエモンのような輩と対峙するのであれば、私はナショナリストを積極的に支持するであろう。ただ今回の問題で自称愛国者が沖縄批判をするのはお門違いも甚だしいと思う。愛国者愛国心を軽視する人を批判するのであれば理解するが、沖縄の人には沖縄のアイデンティティがあり、自尊心がある。この問題は中央集権的なナショナルアイデンティティ至上主義と地方のローカルアイデンティティの衝突なのである。それを相変わらず使い古された左右のイデオロギー論でしか語れないアホには即退場願いたい。
 生憎、沖縄批判を展開しているのはお粗末なネットウヨ坊の一部に限られ、保守派の論客や保守メディアの権化である産経新聞等はだんまりを決め込んでいる。ナショナルアイデンティティ至上主義を垂れ流し過ぎたという自省のもとに持論を展開することを自粛しているのであれば、それはそれで評価したい。
 もちろん、この問題を本土のサヨクが利用していると穿った見方もできるし、それに対して嫌悪感を示す人も少なくないであろう。ただサヨクが中央集権的な社会主義に見切りを付けて、ナショナルアイデンティティ中心主義の右派に対抗して分散型アイデンティティを標榜し、そのための諸運動を支援するというのであれば、それは決して間違った方向性ではないと思う。特に地方分権を理想視するのであれば、ローカルアイデンティティの涵養が重要になってくる。
 世界的に見れば、ナショナルアイデンティティよりローカルアイデンティティが強く露呈する地域は多い。サッカーファンの人ならその辺の事情はよくわかるであろう。またヨーロッパ等ではナショナルアイデンティティより広いリージョナルアイデンティティも芽生えつつある。ナショナルアイデンティティはなお重要な意味を持つが、そもそもそれだけで世の中を説明しようとするのは無理なのだ。