バラマキは悪なのか?

 「自立できるためにイニシャルコストを投じるのは是。自立できない者にランニングコストを投じ続けるのは否」財政や税制の思想は、このような思想に支配されている。特に新自由主義が影響力を持つ80年代以降、この考え方が徹底されてきた。もちろんこの考え方は間違いはない。
 ただ障害者自立支援法生活保護の削減も、この思想に基づいて施行されてきた。日本の農業政策もそうだ。農業土木は農業を強くして自立させるためのものだから是で、農家への所得保障はバラマキなので否。最近の政府や自民党の政策はこの思想で一貫している。
 この前の参院選での自民党の敗北は、この思想に拘束されたことに尽きると言えるかも知れない。本当の弱者はもはや自立は不可能で、自立を是とするイデオロギーを一方的に押し填めても、現実的には死ぬだけである。二世議員や官僚出身議員の多い自民党には、現場の本当に窮している人の声が届かず、官僚の作った法律やその裏付けとなっている最近隆盛の政治思想のレクチャーを受けて、現場の問題が見えてなかったのではないか?

自ら撒いた地雷に当たる民主党

 民主党小沢一郎が代表になってから、このイデオロギーに抗して本当に弱い部分においてはバラマキ上等であると、これまでの政府の思想と一線を画す政策を打ち出してて来た。この戦略は疲弊した地方で一定の評価を受け、参院選での民主党の勝利に繋がったと言われている。
 民主党は公約通り参院選で公約とした「農家の所得保障」や「子ども手当」に関する法案を出したが、評判はボロボロである。ネット上では批判するエントリー以外見当たらないと言っても過言ではない。このギャップは何なのか?特に大都市部では「バラマキは悪である。」という信仰が強烈に浸透している。新自由主義に対する疑念が都市部でもある程度拡がってきた今でも、この部分は不変である。
 この宣伝に中央メディアが大きな役割を果たしてきたが、すべてのバラマキが無条件に悪であるかのような単純化されて議論は民主党の議員がその流布に積極的にかかわってきたと言っても過言ではなく、自ら撒いた地雷に当たって苦しんでいる構図だ。

政治は目的が大事。手段に捕らわれるな

 私は政治は目的が大事で、その為の手段に関してはもっと自由であるべきだと思う。政治家というのは、目的を解決するためにどのような政策が相応しいか考えるのが仕事であり、様々な手法を知りその中から状況において適切な手法を選択できる名医になるべきだ。最初から目的を忘れ特定の手法を信奉して拘束されていたのが、まさにイデオロギーの時代であり、決して人間を幸福にはしなかった。
 今日で言えば「日本の農業はどうすべきなのか?自給率を上げるのか?今のままでいいのか」「少子化問題はどうあるべきか?出生率は上げるべきか」という議論であって、その議論をきちんとしないまま手法論の是非に入るのはナンセンスだ。私はバラマキは大枠ではよくない手法だが、本当にその手法が最適であればアリだと思う。私はネオリベラリズムを日頃から批判しているが、それは目的を忘れ手段至上主義になっているからであって、目的達成のための最適な手段がたまたまネオリベラリズム的手法であれば、それもアリで批判すべきではない。

バラマキは弱くする?

 最近のバラマキ批判のほとんどは、その政策の本来的な目的をスルーして、単に手法批判を入口としており、そのような議論は全く価値がない。若干「目的の解決方法として相応しくない」という議論ができるレベルのものも散見する。農業問題で言えば「バラマキが農家を弱くした。」という議論である。
 これも過去の自民党農政の失敗として、民主党議員などがよく使用したロジックで、これも自ら撒いた地雷に当たっているのではあるが、過去は過去。未来は未来で冷静に議論した方がいい。食料自給率の上げることに拘るのであれば、新規参入者も含めより多くの人間が農業に従事するような政策を行うべきで、それであれば所得補償はアリだと思う。自給率の拘らず、国際競争力に拘るのであれば、やる気のある人が少数精鋭で農業をやればいいので、自民党案でいいと思う。
 いずれにせよ、目的の優先順位から入らないと、バラマキという方法論の是非から入るのはナンセンスだ。