日本のマスコミに足りないもの

 産経新聞さかもと未明のコラムを読んだ。

【断 さかもと未明】「公正」な「偏向」
 仕事でロスにいき、現地のテレビで米大統領選挙の民主党予備選の様子を見た。すると、放送局のなかなかの「偏向ぶり」というか、肩入れの仕方が面白い。
 アメリカ人の友人に伝えたら、そんなのは当たり前じゃないかという。態度をはっきりさせなければ意見などいえないし、みんなどこの局が共和党よりで、どこの局が民主党よりかくらい知っている。それぞれが違った報道をするのが当然で、視聴者は両方の意見を聴いてから、自分でどちらがいいか選べばいい。なるほど…。
 人種も立場も、国籍、収入も違う人々が暮らす国では、異なって当たり前の意見を主張し合った上で、最善策を投票で選ぶのが、多数の納得を得られる方式だ。メディアと視聴者の関係にもそんな取捨選択が行われている。「角を立てずに丸く収める」的な日本のメディアとは基盤が違う。
 思うに日本のメディアは「公正」でなければと気を使いすぎて、意見も視点もはっきりしなさすぎではないか。なにかあればすぐ「偏向報道」と叩かれる。
 もとより、完全な公正など不可能なのだ。おのおのが自分の意見を持たなければ投票もできない。日本における「公正」は、意見をいわず、諍いを起こさぬための言い訳に利用されてはいないだろうか。
 日本のメディアはアメリカ的な「偏向ぶり」に、少し学んでもいいのではないか。意見を持つことは、大いに偏向するということだ。それを明言し、対立意見と舌戦を繰り広げる機会を保証されることこそ、真の公正であるはずなのだから。(漫画家)
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080316/acd0803160338002-n1.htm

 しごくごもっともだ。
 ただ日本のメディアはさかもと氏が言うほと「公正」でなければと気を使いすぎているとは思わない。既に立場を明確にする方向に進んでいるし、視聴者がどこの局が自民党寄りで、どこの局が民主党寄りかくらい知っているという点ではアメリカとは何ら変わらないと思う。
 むしろ問題なのは寄り方だと思う。一方的に特定の政治勢力に寄り添うのでは政党機関紙と何らかわらない。その政治勢力を支持しその背景のイデオロギーを重視するが上に、その政治勢力に苦言を呈すという報道もある。またアメリカの共和党民主党はともに党内での意見の幅が広く、党内に常に政策論争がある。それは予備選の演説を聴いていてもわかるが、共和党寄り、或いは民主党寄りのメディアがそれぞれの党内の政策論争を整理・論点化して国民にわかりやすく伝えている。
 日本のメディアに足りないのはこの辺ではないか?そもそも政党政治が成熟していないので、メディアが対応できない面もあるが。
 少なくとも、メディアは中立公正であることが期待されていて、そうでないメディアを偏向だと批判する段階は既に終わっていると思うが。