歴史観やイデオロギーってそんなに大事なのか? 

  歴史観とか、イデオロギーとかってそんなに重要なものなのか?ブロガーや政治評論家はこれらを重要視し過ぎているのではないか?
 政界再編論でも、多くのブロガーや政治評論家は歴史観イデオロギーでのきれいに二大政党になるのがいいみたいな発言をするが、実態政治はまったくそのような動きになっていない。むしろ普通の有権者と接する機会の多い政治家の方が、特定の人間とばかり話をしている政治学者やインドア政治系ブロガーより感覚がまともなのかも知れない。
 自民党では専ら中川秀直元幹事長らの上げ潮派与謝野馨官房長官らの増税派(財政再建派)の対立がクローズアップされている。自民党イデオロギー歴史観で対立することは稀で、強いて言えば北朝鮮外交での安倍晋三前総理と山崎拓氏の対立がイデオロギー対立に相当するが、これが政界再編の起爆剤になるとは考えにくい。民主党小沢一郎の対抗馬として名前の挙がっている仙谷由人議員は前原誠司前代表らの凌雲会の後見人だが旧社会党出身の人だ。民主党も右と左でバラバラというのは仮説で、最近この党はイデオロギーとは関係ない問題で対立することがほとんどだ。
 実際に、歴史観とか、イデオロギーが国民の関心事であることは沖縄県を除いてほとんどなく、常に生活や景気などが政治的関心事である。偉い政治学者や偉そうなブロガーは、そういう有権者を蔑み、イデオロギー歴史観を語るのが政治の真髄だというような主張をしたがる。
 ただこのような人たちは得てして政治至上主義、つまり政治のための政治があると勘違いし、政治ごっこに陥っている場合が多い。政治が何のために存在しているか考えれば、自ずと彼らの方がずれていることがわかる。もちろん歴史観とか、イデオロギーがどうでもいいと言うわけではない。まあせいぜい優先順位的には3番以下の問題であろう。