なぜ談合やコネなど、日本的裏ルールが急激に敵視されるようになったのか?

 昔からルールを守ることが大事だと言う人はいた。いや昔の方が多かったというイメージを持っている人の方が多いだろう。一般に年寄りはルールを重視し、若者は軽視する。保守的な人はルールを重視し、革新的な人が軽視すると思っている人が多いのではないか?
 しかし、最近起きている現象はこれとは逆ではないか、これまで黙認されてきた談合や縁故といったウラのルールが必要悪という認識から急に極悪非道な行為であると、人々の認識が変わっているのである。これだけを見ると、昔の人がルーズで、今の人の方が規範的であるかのようだ。
 ただ、そういう認識をする人は少ないであろう。むしろ、法律という表のルールと仲間うちの慣習や秩序といったものの二本立てであった日本におけるルールが、急激な勢いで法律という表のルールに一本化してきていると考えた方がしっくりくる。
 なぜこのような一本化の流れができたのか、元々はアメリカによる外圧工作の成果であり、その結果としての日本型保守主義の衰退とアメリカ的価値観への代替の動きが原因である。つまり機会の平等を担保するため、それを阻害する秩序・慣習を敵視する思想の定着である。近代法はある程度公正さを重視する。ただ日本では公正さより秩序を重んじる風潮が根強く、近代法に対する面従腹背状態が長く続き、裏ルールが長期に渡って温存されてきた。裏ルールを殲滅し、法律のみを重視する体制が出来上がれば、それだけでもアメリカの目的は達成できる。あとはそれに規制緩和を加ええればアメリカは満足だ。 
 政治の世界での55年型保守主義から新自由主義へ、古い自民党から新しい自民党への流れとパラレルである。新しい自民党というより、90年代の非自民政党こそ、地縁血縁の象徴である自民党をアンチテーゼとして興隆し、日本人の意識の変革とパラレルな存在であった。新しい自民党は、非自民党政権への以降を阻止するために、株を奪って化身した存在に過ぎなかったのだが。
 小泉政権末期から安倍政権にかけて、行き過ぎた規制緩和新自由主義に対するバックラッシュ*1が起きたが、日本的な裏ルールを再評価する動きは全く起こらなかった。新自由主義は日本に合わなかったのかも知れないが、秩序より公正さを重視するよう日本人の思想改造を行う事には成功したのかも知れない。
 元々80年代以前サヨクだった人は、地縁血縁の象徴である自民党が大嫌いであったから、公正さを重視するスタンスは変わらない。いくら新自由主義を批判しても、元々適していた裏ルールを評価することはない。また保守的な人の多くが裏ルールにコミットしなくなり、アメリカ型保守主義に転向したが、小泉政権崩壊後バックラッシュはあったが、大きな流れにはならなかった。結果的にサヨクのほぼ全員と保守のうち土着保守思想からアメリカ型保守に転向した人は共に「公正」を重視するようになった*2

*1:日本の新自由主義は機会の平等を担保しないまま、税制のフラット化や企業セクト成果主義など結果の不平等を加速させてしまったために失敗した。こう言うと、「条件が揃えば新自由主義は有効と言いたいのか?お前はネオリベだ!」と糾弾されそうだが、これは条件さえ揃えば共産主義は理論上成功すると言う主張と同じで、理論上はどの政策も成功するはずで、実際に条件が揃わない以上はその理論はダメなのだ。日本の場合、最終的に新自由主義政策を推進した自民党が、一方で結果の不平等を是認しながら、党内に古い秩序や裏ルールにコミットする勢力を抱え、結果的に既得権益者が更に富み、最初からチャンスも得られない人が一方的に努力不足と糾弾され敗者のレッテルを貼られる最悪の事態が起きたと言える。

*2:しかしこれは異夢同床である。前者が平等の実現のために機会の平等と結果の平等の両方が必要と考えるのに対し、後者は成果主義つまり結果の不平等を担保するために機会の平等にコミットするのである。