異床同夢の地方分権

 昔から「政治念仏」なるものいが日本には存在する。それさえ唱えていれば、好意的に受け取られ、内容は特に議論されないもの、例えば昔で言えば「政治改革」。ちょっと前なら「小さな政府」。今では「税金の無駄遣い」と「地方分権」だろうか。
 今回は「地方分権」について考えてみたい。これも非常に不思議で、都市部でも地方でも支持されているという点である。
 例えば日経新聞の論調でよく見られるような、「地方に空港など作らないで、国際競争力のあるハブ空港を作れ」「地方の無駄な道路はやめて、外環道などの都市インフラに重点を絞れ」みたいな都市部選択投資主義者は少なくないが、彼らもなぜか地方分権を支持している。一見、中央集権的で国家プロジェクト的な投資を望みそうなものだが。
 彼らの考えはどうも、地方の拠点都市に選択・集中投資しましょう。そのために道州制を導入して、それ以下の都市には余計な投資はしない。山間部なんかはもう無人化して効率のいい国土にしましょうという考えなのだ。
 一方で都市から地方への富の配分の継続を望む人たちも地方分権を支持している。交付金などを利用した国による再分配機能が縮小すれば、大都市の自治体はいいが地方の自治体は相当苦しくなる可能性がありそうだが。純粋に国に口は出さずにお金だけ貰える交付金、「いわゆる地方が自由に使えるお金」を望んでいるようだ。
 地方分権に関しては、念仏化していて、今回の選挙でも中身についてほとんど議論が深まっていない。完全に異床同夢。いや全く違う夢を同じ夢と勘違いして、念仏を唱えあっているだけのような気がする。