なぜ消費税増税が支持されなかったのか〜足し算でなく引き算の議論に〜

 少し前までマスコミは、「国民の多くが消費税増税の必要性を理解し始めた」という結論に導くような世論調査を多く発表した。私は調査が捏造だとかは思っていないが、消費税増税という手段の必要性を聞くこと自体が誤りだと考えている。
 菅総理は何のために消費税を上げる必要があるのか説明不足だと批判されているが、マスコミも全く同じである。ある人は社会保障費用の財源のために消費税増税は必要だと考え、ある人は財政赤字の解消のために必要だと考え、ある人は増税で増えた税収で公共事業を行って景気を良くすると言い、ある人は法人税減税をセットにしろと言う。目的を問わずに手段の必要性だけ問われれば、各人が自分の都合のいい目的のために消費税増税が必要だと好意的に解釈して、消費税増税に賛成する。

増税する目的について議論されるほど、消費税増税支持が下がる「引き算」現象

 菅総理とブレーンの小野善康阪大教授の考え方は少し若干違う。小野教授は増税で得た税収を雇用対策に使い、失業率が改善することで税収が増えて、それを財政再建に回すという独自の理論を展開。菅総理はその理論を取り入れながら、財務省の影響も受けて税収の一定部分は直接財政赤字解消に使うイメージだ。
 まず自由主義的な勢力がこれに反発。基本的に増税によって得た税収を「大きな政府」維持のために使うのならば反対だというロジックだ。自民党のまず「子ども手当」や高校無償化などのバラマキを止めてからでないと消費税増税の議論には応じられないというのも同じスタンスだろう。
 読売新聞は、消費税増税に併せて、最高税率の引き上げを検討している政府を批判し、むしろ課税最低限を引き下げるべしというフラット税制志向の論説を展開。併せて法人税の減税の必要性を説いた。
 自由主義的な論調を展開するメディアや学者も、相次いで同様の批判を展開した。
 この影響は定かではないが、消費税は福祉目的税となり、社会保障の充実に必要だと考えていた有権者にマイナスに作用したのは確かである。仮に菅内閣が消費税増税を実現しても、近々民主党政権は倒れ、自由主義的な政権が消費税率を上げたままで、税収は別の目的に使うという可能性を察知するであろう。
 つまり、何のために消費税を上げるべきかという議論の中で、目的を巡って反目し合い、結果的に消費税増税への支持が下がるという「引き算」現象が生じた。

なぜ足し算の議論ができないのか?

 本当に消費税増税を実現したいのであれば、自由主義者は持論を封印し、嘘でも社会福祉のための増税が必要だと謳うべきであろう。少なくとも昔の自民党政治には国民を騙すしたたかさがあった。剥き出しの保守主義は国民に支持されないという自覚があったので、オブラートを多用することを忘れなかったのだ。しかし、政治家もマスコミも評論家も、小泉政権の総括を間違えている人が多く、国民に対して剥き出しの自由主義的論説を垂れ流しても支持されるという勘違いをしている。
 政治家は自説の正しさを鼓舞するだけの評論家に成り下り、政治ができなくなっている。政治とは意見の異なる勢力と共通の利害を見出し、最大公約数を見つけて政策を実現することである。
 消費税増税という手段を共有できるのであれば、あらゆる勢力が野合し、社会福祉を全面に掲げながら、お互いに増税の成果を分け合うことを考えればいい。最終的には、次の選挙で勝った勢力が、多くの分け前を取るように争えばいいだけだ

追記

 個人的には「引き算」の理論の方が正しいと思う。違う理念の勢力がたまたま手段において利害が一致し共闘するのは野合であり、汚いやり方だと思う。
 消費税増税は個人的には反対なので、「引き算」をし合って進展しないのは大いに結構なことではあるが、あらゆる政治課題で「引き算」をし合ってもどうしようもない。
 現実政治は野合をしないと動かない部分が多々ある。ねじれ国会の再現は、忘れかけた「ずるさ」を思い出すチャンスかも知れない。