なぜ山本太郎や室井佑月「安全主義」が政策上無視されるのか?

 最近俳優の山本太郎氏が福島の子どもたちの疎開を呼び掛けたり、室井佑月が福島の子どもたちの給食に福島産の野菜を使うべきでないと発言。ネットでは賛意が相次いでいるが、実際には政策の選択肢の俎上にも上っていないのが実情だ。この温度差は何であろうか?
 昨日までの政局においても、福島の子どもたちを皆殺しにしようとしている菅政権に憤りを訴える意見をネットでは多く見かけたが、実際に菅降ろしをする勢力が「安全主義」を採用する気配がある訳でもない。実施には社民党共産党ですらこの意見を採用しておらず、政治的には俎上にさえないのだ。
 なぜ世論で一定の支持がある意見を政治が無視するのか、よく考える必要がある。
 安全主義を阻害する要素について、私は以下の原因を考える。

1.風評被害や住民の減少するリスクを避けたい。(地方自治体・地元政治家)
2.賠償の対象を拡大したくない。(東電・財務省)
3.原子力発電を維持したい

もっとも大きな原因を山本太郎氏も安全主義を支持する人も理解していないのではないか。2や3を原因にしてしまい、福島県民は騙されているという図式にしてしまう。だから政治の問題だとしてしまいがちである。
山本太郎氏はテレビドラマを降板した理由に「反原発発言」を挙げているが、3の勢力が自分を疎外しているような認識のようだが、その解釈が間違いである。いまさら反原発発言は誰でもしており、極端にリスクのある発言ではない。原発推進勢力は今は防戦一方で、目くじらを立てている余裕などない。山本太郎をs外sているのは1であり、スポンサーも地元福島県の反発をもっとも恐れてるのである。
 福島県には中央政府原子力利権に無関係に、安全主義を受け入れがたい事由が存在し、その影響が最も大きいからではなかろうか。
厚生労働省の茶葉の検査を静岡県知事が拒否したように、とにかく生産地ではネガティブな情報を拡散させないことに注力する。地元住民も消費者であるにもかかわらず、地方政治には生産者の声が拡大して影響力を誇示するものである。
 疎開政策に関しては、被災地は被災者が県外に避難し、そこで就業した場合、人口減少が恒久化することを懸念している。被災者の郷土愛も自治体が被災者を県内に抱え込む政策を支持する温床となっている。被災者を無償で受け入れようといろいろな自治体が名乗りを上げたが、応募者が少ないのが現状である。
 政府は2の考えの影響を受けているのは事実だが、財政規律派でない政治家なら意見を聞いてくれる訳ではない。政治家も1の影響を多大に受けている。地元の地方議員が1のスタンスを取る限り、地元選出の国会議員は1の考えに拘束される。社民党共産党ですら安全主義を受け入れられないのはそのためだ。
どうしたら受け入れられるかは、かなり難しい問題である。