海猫

北海道が舞台ということもあるし、伊東美咲の演技も気になる等々。気になる映画であったので足を運ぶ。
 この映画(というか原作の問題か?)はラブ・ロマンスなのであろうか?これを純粋なラブ・ストーリーだと感じている人が多いみたいだが、私には単純にそう思えない。薫が邦一を好きになる過程は最小限の表現で、心が離れていく結婚生活に比重が置かれている。また薫の広次への気持ちは常に抑圧されておりのままで、それが原因で邦一への愛が薄れていくいうより、邦一への不信・現実逃避が広次へ向かっただけとも取れる表現である。
 どうしても、この映画には「女性の生き方」「男性不信」と言ったテーマが主題で、ラブ・ストーリーは伏線であるようでならなかった。「結婚前に調査する婚約者」「汚い言葉でからかう漁師」「争いをケンカで解決しようする男たち」「暴力的なSEX」「拘束する縄」あらゆる場面で登場する記号は「信じられない男」のステレオタイプではなかろうか。これらの記号はラブ・ストーリーを盛り上げるための障害の粋を超え、ラブ・ストーリーより前面に出る主題になっているように思えてならない。
 まあ、テーマがあっても構わないのだが、そうも好きにななれない。
 高度経済成長期以降、その反動から。日本映画或いは日本文学にも及ぶであろうか、農村や漁村は「美」であり、都会は「醜」という描かれ方が多く為されてきた。不器用でなかなか愛情を素直に表現できず粗野な田舎の青年に少女は最初はとまどいながらも、少しづつよさが解って愛を深めて行くというのが王道である。うむこの作品では、その流れに逆らっているのである。観客の中には邦一に感情移入し、薫に逃げられる時に哀愁を感じたり、美輝が訪ねた時、後妻とつつましく生きている邦一に同情を抱くことはできる。ただ、作者には邦一という登場人物に対する愛情は余り感じられない。作者の谷村志穂も述べているが、邦一はやはり作者にとっての「信じられない男性の象徴」なのであろう。
 この映画は南茅部町の方々が積極的に協力されているようであるが、これではイメージダウンではないか?「おしん」の時の佐賀県になると思うのは杞憂であろうか。
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