カーニヴァル化する社会

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

 2ちゃんねるに代表される現代のネット社会の潮流を語った面では、北田暁大の-『嗤う日本の「ナショナリズム」』の延長線にあるが、北田氏の著作が実質80年代本であり、現代の考察がいささか中途半端だった部分を咀嚼している。
 鈴木氏は北田氏と同じくイラク人質バッシング拉致被害者バッシングの二つのネット世論の潮流を取り上げ、現代のネット社会をカーニヴァルという言葉で評し、ネット言論を観て真面目に若者の右傾化を憂慮している知識人に対しいささか冷笑しているのであるが、私も今ひとつ、2ちゃんねるアイロニーとかカーニヴァルという言葉で説明してしまうことに踏ん切りがつかない。
 大きな意味では、大きな流れではやはり右傾化しているのではないかという印象が払拭できない。私の周囲の人間を見ても明らかに保守的な言動をする人間が増えているのである。著者の言うとおり2ちゃんえる=ウヨではなく、2ちゃんねるは「祭り」と言ったほうが適切であろうが、その周囲にある右傾化が2ちゃんねる言動に大きな影響を与えているのは確かであり、またその媒介に利用されているのも確かであると思う。これについても無視はできない。
 小さな意味では、人質バッシング拉致被害者バッシングの二つの流れをもう少し掘り下げて欲しかった。この現象を2ちゃんねる=ウヨという単純な問題ではない証明に利用しているが、反反政権という点では共通しているとも言える。マスコミを反権力としたら反マスコミ、つまり反朝日という、つまるところ極めてベタな2ちゃんねる的傾向に過ぎないかも知れない。
 またなぜ、2ちゃんねらーは政府等の強者でなく被害者という弱者をバッシングするのか?これは日本の古典的な倫理観から言えば極めて卑怯な行為である。或いは部落批判やジェンダーフリー批判と同じく権力化した弱者の主張に対する嫌悪の表明なのかもしれない。強者バッシングは既存マスコミの領域であるので、ネットがラウドマイノリティー(声が大きいだけで実態は弱者)をバッシングし棲み分けているだけなのかも知れない。
 つまるところ、2ちゃんねるでは何がネタになるのかという考察である。東浩紀的に言えばネタは何でもいいのかも知れない。たまたまネタになっただけというスターリニズム2ちゃんねるの実態なのかも知れない。だた、現状でネタになり祭りになるものはどことなく傾向があるような気がしてならない。確かにそれは単純に左翼的なものがネタにされるとは限らないことは判るが、やはり何か傾向があるのである。単に滑稽なものがネタになるというネタの基本原則とも少し違う。
 私的には人質バッシングネット世論をもろに受けちゃった柏村武昭 等の保守系政治家やホントに人質に救出費用を請求しちゃった外務省の方が滑稽でネタにしたいんだが、こういうセンスって2ちゃんねるでは受け入れられないんだよね。
 最近の祭りでは、JR西日本を罵倒した読売新聞大阪本社竹村文之記者バッシングという祭りもあった。これに関しては私もかなり不快感を持った人間の人なので、祭りに迎合する気持ちもなくはない。hatenaのブログでは写真を晒している人もいます。↓
http://d.hatena.ne.jp/tomo23/20050516