皇室問題にみる「伝統」に対する認識

 私がこの話題を取り上げたのは、皇室の女帝問題における反対派の「伝統」に対する認識の底浅さに憤りを感じたからである。世界の皇室の多くが政争により征服・断絶を繰り替えしている中、日本の皇室は政治的実権を失いながらも今日まで存続したこと自体の意味は大きい。GHQが皇室は解体せず、他の戦勝国も異を唱えなかったのは、そのことへの敬意に他ならない。
 しかし皇室の伝統も、単に古いから価値があるのではなく、時代に合せて変化し、よりよきものを磨き、善くないものは改め現在の皇室があるのである。そのプロセスがあって始めて「伝統」なのである。明治期に側室や養子といった制度をその時代に合せて改め、生後は自ら子女を養育する等、その時代の合せて皇室を近代化に務めた行為こそ「伝統」なのである。皇室の近代化を進めてきた宮内庁を批判したり、側室復活等とのたまうような言動は近頃散見されるが、それらの言動ははむしろ伝統の解釈を誤った「反伝統」と言わざるを得ない。