ヲタク救国論の意味

 テレビでロボットコンテストや発明コンテスト等で日本の学生と中国などのアジア諸国の学生が対戦する大会の映像を見た時に感じたことである。明らかに日本の学生だけ異質なのに気付く。正確には日本以外の学生が異質に感じるのであるが、日本の学生が好きなものを作っている少年のように活き活きと参加しているのに対し、アジア諸国の学生は国のエリートという意識が垣間見え、緊張感がみなぎっているのである。決してどちらがいいという問題でなく、意識の違いを乗り越えて大会は白熱するのであるが。
 恐らく日本に限らず、先進国の学生は国家を背負うという意識は希薄になっているのだろうが、少なくとも個人としてのエリート意識は高いような気がする。最近中国でもアメリカに留学し、そのまま中国に帰らずアメリカで成功する技術者が多いと聞く。最初は愛国心に滾り海を渡ったのが、アメリカで自由な空気を吸って人工的に植えつけられた愛国心の陳腐さに気付き、個人としての成功を目指すようになったのであろう。
 ところが日本の学生は個人としての成功に無欲で、好きな研究に没頭できる喜びを享受するタイプが多い。これは今に始まったことでもないようで、日本のアカデミズムに根付いた巧の文化みたいなものがあるようだ。