なぜ日本の右翼も左翼もダブルスタンダードになるのか?

 私は12/6のエントリ「人権という言葉を毛嫌いしている人に告ぐ!」で、日本の保守言論が中国を批判するロジックの中で人権問題を取り上げながら、国内問題においては人権という価値観に疑問を呈す言論が多いダブルスタンダードを批判したが、もちろん左翼にもその傾向がある。
 最近では勝谷誠彦1/6のエントリー朝日新聞の記事を批判している。*1

社会面にもトップで<12歳「軍人」死と直面/実験動物のようだった>。としてどこぞから探し出してきた78歳の「元少年兵」の体験談を語らせる。ちなみにこの記事も例の如くasahi.comでは見当たらない。こうやって朝日が「戦争の語り部」を作り上げる手法はいつもの事だ。先日死んだ「支那人虐殺の懺悔証人」東史郎が正にそうだった。今回の記事は朝日のその「歴史創造」の集大成とでも言うべき「傑作」であって(笑)様々な要素が入れられている。「元少年兵」の証言には<「戦艦大和の犠牲のおかげで生き残った」>とヒット中の映画にちゃんとリンクさせる芸の細かさ。沖縄の方々や大和のおかげで生き残ったのはてめえだけじゃねえや。日本人全員が頭を垂れるべきことである。一面では朝日の御用左巻きコメンテイター前田哲男が<現代にも通じる>と語る。この嫌らしさは何なんだろうね。12歳を国家の政策のために動員することがそんなに大変な悪ならなぜ朝日は支那紅衛兵を口を極めて罵らない。あの時にあたかも少年が毛沢東を支持することが天国での出来事のように賛美したのはどこのどいつだ。

 もちろん私は当時朝日新聞毛沢東をどれだけ賛美していたとか知る由もないが、まあ日本の左翼が国内で人権や環境だと言いながら、共産圏での人権抑圧や環境破壊に関して黙殺していたのは事実であろう。
 とにかく、冷戦下、日本においては55年体制下ではダブルスタンダードが当り前であった。イデオロギーの時代と言われながら、そのイデオロギーが標榜する価値観を基準にするのではなく、そのイデオロギーの陣営が基準となってしまっていた。
 単純に言えば、保守陣営は日本やアメリカに都合がいいか否かが価値判断になり、左翼陣営は反権力か、或いは共産圏の行為は善しといった価値判断がまかり通ってた。実は「自由」「平和」「人権」「平等」などの価値は二の次であった。そして相手陣営を攻撃するロジックにおいて「自由」や「人権」というキーワードを用いたのである。これらのキーワードは相手陣営を批判するためのディベート的なテクニックの為に使用されているに過ぎず、その言葉の持つ価値観に対するコミットメントは低かったと言わざるを得ない。
 冷戦時代が終わっても、日本の言論はこの呪縛を抜け出せずにいる。左翼はマルクス主義というバイブルが打ち砕かれたために「自由」「平和」「人権」という価値観にコミットを高めて生きながらえようとしているが、「反権力」「反資本」の呪縛はぬぐえないで居る。
 右翼陣営は「日本そのもの」と「反左翼」が価値となっている。親米保守は「自由」という価値にコミットする傾向があるが、反米保守は「日本そのもの」にコミットしてしまっている。祖国にコミットすること自体は素晴らしいことであるが、「日本とは何か?」自らの考えが確りしていないと、日本に都合のいいとは「善」、そうでないものは「悪」という非論理的な価値判断になり、常にダブルスタンダードに陥る。
 例えば「アメリカそのもの」にコミットするというのは、「自由」にコミットするのに等しい。実際にはアメリカのご都合主義の身勝手な「自由」を掲げて勝手に戦争をしているのではあるが、建前上はすべてアメリカの保守主義は一貫したロジックの上に集約する。
 日本の場合、「日本とは何か?」「日本的なものは何か?」という自己理解が乏しい*2ため、多くの保守的言論が理論破綻を起こす。最近は靖国問題で難癖つける中韓に対する批判が多いが、批判の目的のために普段自分がコミットしていない「自由」や「人権」等のキーワードを使用するのは矛盾しており、格好つけて論理的に批判するよりまだ「単にムカつくんだよ」程度の稚拙な意見を露呈した方がマシである。
 以下私の個人的意見だが、私は日本の基本精神は「和」だと考えている。であるから「断固たる……」とか「毅然とした……」といった言葉を多用する考えは日本の伝統とは異質であると考えている。それらの思想は20世紀初頭のごく短い時期に日本に興った思想の御落胤であり、悠久の日本の歴史の中で見れば異質なものである。
 私は「和」の思想をもって中国の愛国主義を批判すると同時に、日本国内の間違った愛国主義も私の批判対象となっている。
 

*1:それにしても勝谷さんは朝日新聞を隅々まで読んでいるなぁ。ホントは好きなんじゃないかね?

*2:超右翼の方の意見の中に「義」や「忠」等の価値観を重視するものが見られるが、これら封建的な価値観はむしろ中国や韓国の価値観と親和性が高いという別の矛盾を抱えることになる。