どうなるホリエモンの今後の評価

 著名人の犯罪において必ずその評価についての問題が起こる。今でも無罪だと信じている人、或いは推定無罪で話すべきだという意見も散見されるが、申し訳ないが私が話すのは一般論なのでご容赦願いたい。
 堀江貴文氏に関しては、「法を犯したのはいけない。ただ彼は日本を変えた、或いは希望を与えた。」といった意見を目にする。確か犯罪を犯したからといって、その人の過去の業績がすべて否定される訳ではない。更に田中角栄氏のように判決において彼の首相としての業績が考慮されたというケースもある。
 また日本では余りないが、欧米では高い業績を残した文化人が人を殺めるという話*1が多々ある。それでもその人の業績は犯罪と切り離して評価するというのがセオリーである。
 一方で、堀江氏が行っていたのは単なるマネーゲームで、形のあるものは何も残していないという意見も多い。彼は経営者としての評価に値しないので、残るのは罪の大きさだけということになる。
 更に芸能人の犯罪で見られるケースだが、人気タレントが罪を犯し、青少年に与えた社会的影響が大きいとしてより厳しく罪が問われるケースである。
 表にするとこんな感じだ。

  1. 『罪の重さ』−α 評価できる側面もあった。
  2. 『罪の重さ』±0 評価に値しない人物。罪人以上でもそれ未満でもない。
  3. 『罪の重さ』+α 社会への影響を考慮すればより罪は重い。

 では堀江氏はどう考えるかである。確かに堀江氏には評価される部分があるという考えがある一方、経営者としての評価はゼロで罪人以上でもそれ未満でもないという「2」の考えの人。更には若者に夢を語っておきながら失望させた、その罪はより重いという「3」の考えも成り立つのである。
 これは一般的な評価ではありが、実は司法の世界には差別意識があり、文化人などには1の評価が与えられる可能性があるのでるが、若者に人気のあるタレント等は3の評価が為され、より重い判決が下されるケースがある。
 堀江氏の場合も、「3」の評価で裁かれる可能性も否定できない。