見えぬ対立軸。ライブドア事件でより明確に!

 未だにウヨクだのサヨクだの、自分の思想の対立するイデオロギーの虚像を描き、批判することに余念のないブロガーが多い。中には対立する思想を唱えている人間が本当に存在するのか大いに疑問のある(例えば中韓に媚を売る日本人。本気で媚を売っている日本人なんているの?)ものも多い。
 自分の意見を際立たせるために、仮想敵を捏造するレトリックは、学者やマスコミでさえ多用する常套手段である。組織率の低下が著しくその社会的影響力も著しく低下しているのにも関わらず、仮想敵として未だに過大評価されている日教組などはその好例である。
 私もネットウヨを批判するエントリーをしばしば書いているのではある*1が、ネットウヨというのは必ずしも一枚岩に存在している訳ではなく、立ち位置は多様である。中には右翼を自称する人のブログを読んで共感してしまうことさえある。
 今回のライブドア事件において、多くの人間が既存の右翼−左翼、保守−革新という対立軸がいかに虚像であったか気付いただずである。堀江氏を強く支持する人間もいわゆる保守であり、堀江氏を強く批判する人も保守なのである。いわゆる左翼もほとんどは堀江批判派ではあるが、その存在感は希薄である。
 この保守内の対立は今に始まったことではなく、戦後は農村の伝統的価値、戦前の全体主義的価値観の残骸、戦後民主主義が混沌とした状態で戦後の保守陣営が形成されてきた。なにより自民党そのものが蝶番になって本来異質で利害が対立しかねない価値観を混在させることができたのである。本来対立するはずの農村の伝統的価値と資本主義は、1票の格差の不均衡な中選挙区制度の下、農村が自民党議席の安定を与える代わりに、地方は資本主義に寄生して都市の富のおこぼれを頂戴する仕組みができあがた。
 まず新自由主義的政策の日本の移入が、混沌とした一体性の維持を困難にさせた*2。保守勢力内に寄生していた農村、地方、中小零細企業といった弱者の寄生が困難となった。また1980年代の石原慎太郎の「Noと言える日本」や小林よしのり西部邁らの反米保守の潮流が保守を分断した。
 ただ未だに自分の立ち位置を「右」だと自認している人の多くが、自分の立ち位置を客観視できないでいるように思える*3。余りにも多様な「右」が存在し、意見の対立も明らかになっているのであるが、何が同じで何が違うのかわからず戸惑っている。いきおい、紋切型の常套句で容易く批判できる左翼批判を繰り返しているのである。本当は左翼より、異質な「右」が敵であることを少しづつ感じてはいるのであるが…。
 西尾幹二氏の「新しい歴史教科書をつくる会」名誉会長辞任はそんな右の混乱を象徴する出来事であった。

*1:別にネットウヨ批判を目的にしている訳ではなく、たまたま批判したくなるエントリーにそのようなものが多いだけであるのだが。

*2:正確には中曽根政権時代は致命的ではなかったが、小泉政権において決定的となった。

*3:もちろん解っている人もいるであろうが。また解らないい人は実はエセ保守で一生解らない可能性もある。