本質的には資本主義を受け入れてなかった日本人

 ライブドア事件で明らかになったことの一つに、日本人が本質的には資本主義を受け入れていなかった*1ということである。私自身はホリエモンを擁護する気はさらさらないのであるが、堀江氏に対する日本人に丸出しの本音を見る限り、日本的思想と資本主義は親和性が低いと思わざるを得ない。
 今更気付いたことではないが、日本人の中に証券会社を未だに「株屋」と蔑み、投資や相場を博打やギャンブルと同列に卑しむ思想は日本の底流で流れ続けてきたのである。この矛盾は戦後、日本の伝統的保守層が反共の旗の下で金儲け集団と野合を続けてきたために顕かにならないできた。そしてこの野合の番頭に自民党が座し、野合がやがて1940年体制の基盤の上に日本的資本主義を形成したのである。GHQ財閥解体以外には決定的に日本の従来システムにメスを入れなかったのは、当時はまだアジアに本当に民主主義と資本主義が根付くか疑問視する考えが根強かったからであろう。
 欧米で育まれた民主主義と資本主義が、アジアの国で根付くかされ疑問視されていた時代である。戦後の日本の復興や、それに続くアジアの新興工業国の発展により、アジアにも資本主義が定着すると1980年代には誰もが思うようになっていた。しかしその頃、アメリカでは、日本の資本主義は違うのではないのか?開発独占ではないか?という疑問が出始め、日本に対する自由化圧力を強め始める。日本の資本主義はホンモノの資本主義ではないから、ホンモノの資本主義に改造しなさいと言うのである。
 アメリカの外圧に対し、当然反発する意見もあったのだが、むしろ伝統的保守層との野合に辟易していた金儲け集団が、この風潮に符合し「外圧利用」し、日本を改造すべしとの論を張ったのも確かである。都市対農村の構図の中で、都市住民にアメリカの外圧をむしろ歓迎する風潮さえあった。小泉改革ライブドア事件で戦後の野合体制の矛盾は鮮明になった。
 資本主義を日本の伝統的風土に合うようにアレンジした戦後日本の資本主義を、純粋な資本主義に脱皮させようという資本主義ピューリタニズムに、妥協型資本主義にようなく馴染んできた日本の伝統的保守層が違和感を表明したのである。妥協型資本主義の崩壊させれば、彼らが反資本主義的伝統主義に回帰してしまう危険性がある。

*1:あくまでも日本の伝統的価値観に融和させた擬似資本主義を受け入れていただけ