企業の社会的責任軽視の小さな政府はあり得ない。

 新自由主義規制緩和による機会創造を期待して経済界に支持されるのはわかるが、決して労働者の権利や賃金を抑制し、企業の利益を増す方向の政策を生み出してはいけない。それは結果的に大きな政府を生むからである。
 特にニューエコノミーでは雇用の流動化の必要性が強調され、日米その他その影響を受けた政権の為政の結果、雇用の流動化が進んだ。またこの流れはグローバリゼーションの名のアメリカ化の潮流となって世界中を席巻している。
 日本では企業は低賃金化のために正社員を抑制し非正規雇用へ置き換え、また新卒主義や終身雇用政策が放棄されていった。その結果、企業が若年労働者の職業訓練を行わない社会となってしまった。非正規雇用として働き続けた若者は大したスキルを身に着けることができぬまま加齢し、社会から使い捨てされる危機にある。
 最近になってようやく企業はこの流れのリスクを感じ、あわてて新卒の採用をしているようだが、人材は集まらずに頭を抱えている企業も多い。かといって30台までアルバイトで乗り切ってきた人材を正社員として雇用する企業は少ない。このミスマッチは結果的に行政が職業訓練を行って雇用の需要のミスマッチを補填するという結果になりかねない。
 どうも新自由主義=企業有利の社会創造と理念が捻じ曲げられた結果、大きな政府を招くパラドックスに陥っている。本来は国民が企業に対し社会的責任を求め、必要以上に政府の役割を増やさないこと、そして企業は短視眼に陥って短期的利益追求に走らないこと。長期的利益の視点に立てば社会的責任を負うことが必要ということがわかる。
 しかし株主至上主義というのは、そうしても企業の短期的利益追求に走らせる。それを抑止できるのは消費者かオーナーか労働者か。長期的な企業の利益を追求する安定株主か。誰もできなければ国が登場するしかないのだが。